第二十四話 スロバキア語と日本語~どちらが難解か?

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     私は日本人としての母語である日本語の他、第一外国語としての英語、更に職業外交官として習得したフランス語を話します。かつて三年間近く在勤したタイ王国のタイ語も、現地で暮らしていくための片言程度であれば使えます。しかし、約二年前にスロバキアに赴任して以来、この国の言葉ほど、習得に苦労している外国語はありません。
     着任以来毎週、語学教師について個人レッスンを受けているのですが、いまだに、料理を注文したり、買い物をするための、基礎的な表現しか使えない有様です。逆にスロバキア人から話しかけられると訳が分からなくなり、立ち往生してしまう次第です。
 
     ちなみに私がもっとも多用しているスロバキア語の表現は、「あなたは英語を話しますか?」と、「この料理はとても美味しいのですが、お腹が一杯でもう食べられません」です(笑)。
 
     私のような外国人がスロバキア語を話せなくても、話せるような「ふり」をしたかったら、とにかく「ドブリ(レ)」、と「アーノ」を繰り返した言うことです。「ドブレ」とは「良い」という意味ですが、スロバキア人は「ドブレ」を「うん、うん」とか、「そうだね」のような相槌に、更に「了解」、「いいね」とか、「OK」の意味のように、様々なニュアンスで多用します。「アーノ」は「はい」の意味で、略されると単に「ノ」となります。
     ですから、とにかく「ドブレ」、「ドブレ」と相槌を繰り返し、時々「ノ」を混ぜて、最後に「ドビ!」(「ドビジェニア」(さようなら)の略で「じゃあ、またね」といった砕けた表現)をつければ、あなたも一見、スロバキア語ペラペラのようにふるまえるわけです。その代わり、相手からすごいスピードのスロバキア語で話しかけられて、立ち往生することになる危険性も大ですが・・・。
 
     スロバキア語は西スラブ語系に属する言語で、チェコやポーランド等、中東欧の多くの国の言葉と語源を同じくします。例えば、スロバキア語で「こんにちは」を「ドブリ・ジェン」(「良い・一日」の意味)と言いますが、昨年ポーランドのワルシャワに出張した際に、滞在したホテルのフロントで「ドブリ・ジェン」と挨拶してみたら、先方から「ジェン・ドブリ」と返事が返ってきました。語彙の順番がひっくり返っているだけで、意味は同じです。
     西スラブ語系言語は、ロシア語に代表される東スラブ語系言語とつながっていますが、西スラブ語系がラテン文字を使うのに対し、東スラブ語系はキリル文字を使うのが大きな違いです。
     ちなみに、同じ西スラブ語系言語を話す人々の間で、ポーランド人とスロバキア人はお互い母語で話し合っても大体通じ合うという説があります。これはスロバキアが中東欧の中心に位置することから、西スラブ語系の言葉の中で最も汎用性が高いことを意味しています。このことから、「スロバキア語は中東欧諸国におけるエスペラント語である」と言う人もいます。
 
     自分のような外国人にとってのスロバキア語習得の難しさは、何といっても文法(グラマー)です。例えば名詞一つをとってみても、男性形が四パターン、女性形が四パターン、更に中性形が四パターンの形十二パターンあります。日本語には男性形、女性形といった概念がないので日本人にはわかりにくいのですが、例えば、「コンピューター」は男性形(パターン四)、「(町中の)通り」は女性形パターン二、「車」は中性形パターン一に属します。
 
     ややっこしいのは、これ十二のパターンの各々が、いかなる位置づけで使われるのか(主格か、目的格か、前置格か)によって、それぞれ六格に変化することです。例えば、中性形パターン一に属する「車(auto)」であれば、一格(車は)ならauto、二格(車へ)ならauta、三格(車のため)ならautu、四格(車を)ならauto、六格(車について)ならaute、七格(車と)ならautomと活用します。どのパターンに属するかによって、この格変化の仕方がすべて異なってきます。つまり、十二のパターンで六つの格について、合計七十二の格変化があり、どの名詞がどのパターンに属するかを暗記した上で、これらをすべてマスターしなければなりません。
     更に、それぞれについて、名詞が複数になると、格変化の仕方がかわります。つまり七十二×二で百四十四の格変化を諳んじて覚える必要があるわけです。
     ちなみに、形容詞が名詞にかかる場合、その形容詞も、この百四十四の格変化に合わせてそれぞれ独特に変格します。
 
     こう書いているだけでも頭が痛くなってしまうのですが、スロバキア語の勉強を開始した当初、私は一案を講じて、このすべての名詞の変格を、A3の一枚紙に一覧表としてまとめてみました(写真上)。表を完成した際には自信満々で、この表は特許ものだ、とすら思ったものです(語学の先生にも、見たことがないと褒められました)。しかし、一年たってもこの複雑な変格の方程式は私の頭の中にさっぱり入ってこず、苦心の作の一覧表はまさに「絵に描いた餅」になっている状態です。
 
     なお、動詞も変格します。例えば「話す」を意味するhovoritであれば、主語が「私」であればhovorim,「あなた」ならhovoris,「彼(彼女)」ならhovori、「我々」ならhovorime、「あなた達(あるいは「「あなた」の丁寧表現」)なhovorite、「彼ら」ならhovoria、 と活用します。この活用の仕方も動詞によっていくつものパターンがあり(約十二パターン)、更に不規則活用する動詞も沢山あって、これらをすべて覚えるためには並々ならない努力と時間、才能が必要となります。
 
     私はスロバキア人を、この複雑なスロバキア語が話せる、という事実のみをもっても、十分に尊敬します。
 
 
     ・・・という話をスロバキア人相手にすると、スロバキア人から決まって返ってくる言葉が、「日本語の方がもっと難しいじゃないか」という反応です。首都ブラチスラバのコメニウス大学には日本語学科があり、五十名近いスロバキア人の学生が日本語を専攻しています。日本語を話すスロバキア人もかなりいます。私の勤務している在ブラチスラバの日本大使館にも、私の秘書をはじめ日本語を堪能に操る現地職員が何人か働いています。

     私は日本語が母語なので、外国人にとって日本語のどこが難しいのかは良くわかりません。漢字の習得が大きな山だということはわかります。ひらがなやカタカナで読み書きして、話したり聞いたりする分には、少なくとも文法はスロバキア語ほど複雑ではないような気がするのですが、間違いでしょうか。
 
     言語が複雑であることは、それだけ多様でニュアンスに富んだ表現を行うことが可能になる、ということを意味します。例えば十一世紀初頭の日本で、世界最古の恋愛文学長編小説ともいえる「源氏物語」が、紫式部という女性により書かれました。同書は雅な日本語で書かれており、現在までに世界各国の言語に翻訳されていますが、日本語で書かれた微妙なニュアンスを、百パーセント忠実に外国語に訳することは、いかなる優秀な翻訳者をしても不可能だと思います。

     日本語もスロバキア語も複雑な言語で、外国人にとって習得に苦労することは同様なようです。しかしいずれも、言語が複雑で精緻であるが故に、それを使って高度に知的で、豊かな情緒に富んだ表現を行うことが可能になっている、とも言えるのではないでしょうか。言語の複雑さは、それぞれ国の文化や社会に、ポジティブな意味で、大きな影響を与えてきているのではないかと思います。
 
     今回のブログは、やや固い話になってしまいました。
 

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     最後に、親しくなったスロバキア人達と最近話をした際に、お互い、相手の国の言葉の「発音ぶり」(聞こえ方)で、どんな単語が耳にとって面白いか、という議論になったことをご紹介して、終わりたいと思います。
     私は、語感として、スロバキア語で生クリームを意味する「シュリャハチカ」という音感が面白いしと言いました(機関車が走っている音のようで)。また、酢キャベツを胡瓜やパプリカ、唐辛子と混ぜた漬物の一種で「チャラマーダ」(写真下)、というのも、なにかチャラチャラふざけているようないい加減な語感があり好きだ、と紹介しました(チャラマーダは、白い御飯のおかずの友として、私の大好物でもあります)。しかし、スロバキア人の友達はピンとこないらしく、キツネにつままれたような顔をしていました。
     それからしばらく雑談を続ける中で、相手のスロバキア人が園芸業(大手の花屋チェーンのオーナー)だったこともあり園芸の話になったのですが、私が日本語で「芝刈り機」(シバカリキ)といったら、相手が突然「その言葉の発音は面白い、面白い」といってげらげら笑いだしたのです。今度はこちらがぽかんとしてしまい、なにがそんなに面白いのか、よく理解できませんでした。
 
     なお、日本語の大阪弁で「儲かりまっか」(ご商売で利益が出ていますか?)という挨拶の言葉があります。大阪では、商売人が知り合いと出会ったときなどに「こんにちは」の代わりに使われてきたようですが、いかにも商都らしい直裁な表現です。この発音が外国人の耳には面白く聞こえるらしく、当地の各国大使の中には、レセプションや会議等で自分と会う度に、日本語で「モウカリマッカー」と声をかけてくれる人もいます。
 
     ちなみに、私が毎朝早く、飼い犬(柴犬)を連れて近くの公園を散歩していると、犬好きのスロバキア人から良く「ハチコー、ハチコー」とか、「ハチ!」とか声をかけられます。2009年にリチャード・ギア主演でハリウッド映画にもなった、「忠犬ハチ公」の物語は、スロバキアでも良く知られているようです。
     実は、「ハチ公」は秋田犬で、厳密には柴犬とは若干異なるのですが・・・。
     この話は稿を改めて、いずれご紹介したいと思っています。
 

     文責 日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)