第一話 スロバキアって、あのチェコスロバキアのスロバキア?

平成28年5月19日

     私が駐スロバキア日本大使として赴任することが決まった時に、周りの人々に最初に聞かれたのがこの質問でした。スロバキアは1993年にチェコスロバキアが二つの国に分かれてできた国です。西はオーストリア、北西はチェコ、北はポーランド、東はウクライナ、そして南はハンガリーに囲まれた山々あり平野もありの内陸の国です。面積は日本の九州と同じ程度で決して大きくはありませんが、その中に七か所のユネスコ世界遺産があるなど、美しい自然や、中世からの趣をそのまま残す石造りの教会や石畳の町々、お城等が、数多くぎゅっと詰まっています。
      初回の「小さな旅」で紹介したいのは、スロバキアの西端にある首都ブラチスラバ、そしてその中心部にある「旧市街」です。ブラチスラバは、ドナウ川河畔にある中世から続く古い都市で、ドナウ川を見下ろす高台の上には大きなブラチスラバ城が立っています。そのふもとには、約一キロ四方弱の中世の街並みが旧市街としてそのまま残っています。
     ヨーロッパには確かに数多くの美しく古い町並みが数多くありますが、どこも車道があり車が入り込んでおり、人々は車の騒音と排気ガスを気にしながら歩き回らなくてはなりません。ところがこのブラスチラバの旧市街は区画全体に車がいないので、時々教会の鐘がなるだけの静かな静寂の中で、車も排気ガスも気にすることなく、人々は石畳の街をそぞろ歩き、特に春から秋にかけては街角や広場の路上にたくさんテラスを出すカフェやレストランで、コーヒーを飲んだりお菓子を食べたり、ビールやワインをすすってのんびりとくつろいでいます。
     スロバキアは欧州の真ん中にあり交通や戦略の要衝であったことから、中世時代からハンガリー王国、ハプスブルグ帝国、さらにナチス時代のドイツ、そして第二次世界大戦後のソ連の影響下のチェコスロバキアと、長らく他国の支配下や影響下にありました。実は中世にはブラスチラバが一国の首都であった時期も長らくあったのですが、20世紀に入ってからは地方都市として国際的にはあまり知られないままでした。それがスロバキアの独立により再び首都に戻ったわけです。ドナウ川沿いの風光明媚な自然、古い石畳と石造りの建物の美しい町並み、歩いてすべて回られるこじんまりとしたかわいい旧市街の作りなど、中世ヨーロッパの雰囲気を味わうために観光として訪れるには最高のところですが、日本では知名度がまだ今一つであり、行きかう観光客たちもほとんどが欧州の人たちです。
     ブラチスラバにはパリのようにエッフェル塔があるわけでもなく、ローマのように巨大なコロッセオがあるわけでもありません。欧州の首都としては規模は小さく、車や電車、ドナウ川クルーズの船でわずか一時間の距離にあるお隣のウィーンと比べても、一見地味な存在です。しかし、この騒音のない静謐さ、時がゆっくりながれる中世のようなのんびりした雰囲気、コーヒー、お菓子、地ビール、地酒のワイン、地元の食材を使った料理などをゆっくり味わうことはいかがでしょうか。大きく華やかだが騒がしく落ち着かない、朝から晩まで観光や買い物で動き回っているだけで疲れ果ててしまう他の国の首都や観光地にはない、スロバキア、特にブラチスラバだけの魅力ではないかと思います。
     写真はその旧市街中央の中央広場(フラウネー・ナーメスティエ)で、緑色の建物が日本大使館です。この建物は16世紀に作られ、その一部は13世紀建造にさかのぼると言われています。もともと古くからの銀行であった場所を、今は日本大使館が使っているものです。私はここで勤務していますが、お昼休みにちょっと広場に出て行って、石畳の路上に出ているカフェでコーヒーをすすったり、街中をさまよったり、ドナウ川河畔に出て対岸の緑を眺めながら川面の空気を吸ったりすることもあります。ちなみに、冬のクリスマスシーズンが近くなると、この中央広場にはクリスマスグッズ等を売る屋台がたくさん並んで、買い物客で人があふれるということです。
     ブラスチラバ旧市街は、観光ガイドとにらめっこをしながら、観光名所を次から次へとガシガシ、ワシワシと訪問しまくるところ、ではありません。半日、できればせめて一泊していただいて、日中は中世ヨーロッパの雰囲気につかってのんびりとぶらぶら歩き、少し疲れたら路上のカフェでお茶をし、夕暮れになったら石造りの古いレストランで地酒をなめながら夕食を楽しむなど、ほっとしてくつろいで過ごすのによいところではないかと思います。
     「バカンス」という言葉はそもそも「なにもしない」という意味があったと聞いています。もしそうだとすれば、ブラチスラバは皆さまがご旅行で、まさに「バカンス」をしに来るところではないかと思います。
     文責 日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)