第三話 ブラチスラバの「隠れ家美術館」~アーサー・フライシュマン美術館

平成28年6月8日
      あなたがもしスロバキアの首都ブラチスラバに来て、フライシュマン美術館を見つけることができたら、本当の「ブラチスラバ通」です。この美術館は日本大使館のおかれている旧市街の中央広場のすぐ傍にあるのですが、入口がわかりにくく、まるで人目を避けるようにひっそりと置かれています。隠れ家のような美術館の入口をあけて中に入ると、中は決して広くはありませんが、アール・ヌーボーと中世的な伝統芸術を組み合わせた、数多くの魅力的な作品が訪れる人の目を引き付けます。
                   
     アーサー・フライシュマンは1896年スロバキア生まれで、20世紀に世界的に著名だった彫刻家です。彼はアクリル樹脂(ガラスの一種)を初めて本格的に美術の素材に使った芸術家として知られており、その作品の多くは、真っ白で半透明の現代的なアクリルと、木や金属といった伝統的な彫刻素材とを組み合わせたのが特徴です。
 
     フライシュマン氏と日本は、実は1970年に日本の大阪で行われた「万国博覧会」でご縁がつながっています。
この「大阪万国博覧会」を覚えている方は、今では中高年に差し掛かっているかもしれませんが、世界の77か国、四つの国際機関が展示館を設け、6か月間の開催の間に、内外から6500万人近い人々が訪れた、世界的な大イベントでした。万博のテーマは「人類の進歩と調和」。ちなみにこの開催期間中に会場内で迷子になった子供は総計22万人だった、という面白い統計も残っています。今では当たり前になった「動く歩道」が初めて世の中に登場したのもこの万博でした。
     その万国博覧会の「英国館」に、フライシュマン氏はアクリル樹脂を作った斬新な彫刻を展示して、大きな話題になりました。その作品の制作と展示のために、同氏と夫人のジョイさん、そして息子のドミニクさんは三人で長期間滞在し、すっかり日本通になった、というわけです。
 
     フライシュマン氏と日本の繋がりは、その後、日本ではほとんど忘れられていました。それが今から約二十年前に、ロンドンの日本大使館の竹内春久参事官(当時)が、ふとしたご縁でロンドンに住むフライシュマン氏のアトリエを訪れ、未亡人となっていたジョイさんとドミニクさんと会って、彼らの日本とのご縁を知ることになりました。
     そして、私が先月、駐スロバキア日本大使として東京からブラチスラバに赴任するにあたり、この竹内氏(前・シンガポール大使。現・東京大学公共政策大学院客員教授)からフライシュマン一家を通じたスロバキアと日本のつながりを伺う機会があったことから、赴任後にブラチスラバにあるフライシュマン美術館を訪問し、館長等とお話しをする機会もあり、それも踏まえて今回、皆さまにご紹介できることとなったわけです。
 
     私はスロバキアと日本の「人と人」の繋がりをコツコツと積み重ねていきたいと思っていますが、今回のこのフライシュマン美術館と日本の関係は、意外なことにロンドン、そしてロンドンに当時いた竹内さんとフライシュマン氏のご家族を通じて、糸がつながりました。「人のご縁」は本当に不思議です。
 
     最後に、フライシュマン美術館を見つける「ヒント」は添付してある写真です。ここの入口から中庭に入って、小さな扉を潜り抜け二階に上がるとフライシュマン美術館があります。入口は中央広場のすぐ北側の Biela 通り6番地にあります。休館日は月曜日。火曜日から金曜日は10-17時、土日は11-18時まで開いているそうです(入館料は2016年5月現在で3.3ユーロの由)。
 
     ご関心のあるかたは、ぜひ探検して見つけてください。
 
     このような日本とスロバキアの隠れた繋がりを,今後とも皆様に紹介していきたいと思います。
 
     文責 日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)