第四話 スロバキアで踊る日本人芸術家たち

平成28年6月20日
   スロバキアの人々の多くが芸術、特に音楽が好きで、音楽が人々の生活に溶け込んでいることは、前回(バンスカー・ビストリツァの巻)もお伝えしました。
 
   ここ、日本大使館がある首都ブラチスラバは、人口は50万人と東京の約20分の一ですが、二つのオペラ座と更に大きなコンサートホールがあり、毎週のように様々な演目が開かれています。
   日本では、コンサートに行く、というと、チケットも高いし、おめかしをして電車にのって。。。と、ちょっと仰々しい感じもしますね。ここブラチスラバでは、街中に住んでいればオペラ座(スロバキア国立劇場)もコンサートホールも歩いて行けますし、お値段も、ざっくりと言うと東京よりも一ケタ安い・・・。それでヨーロッパ各国の生の音楽が聴けるのですから、行かない手はありません。これは、スロバキアの政府や市などがオペラ座等の活動に継続的に大きな財政的支援をしており、国と国民が一体となって音楽活動を盛り上げているからです。うらやましいですね。

   私は先日オペラ座でのクラシック・バレエに招待されて、行ってまいりました。演目は、「ジゼル」や「白鳥の湖」と並んで世界三大バレエ・ブラン(白いバレエ)の一つと言われる、「ラ・シルフィード」です。・・・と言うといかにもバレエ通のようですが、実は恥ずかしながら、50歳を過ぎて現在の年齢になるまで、「バレエ観劇」なるものには行ったことなどなく、今回が生まれて初めての体験でありました。
   石造りのエレガントなオペラ座の建物の中に入ると、舞台を囲むようにして一階、二階、三階にボックス席がずらりと並び、その上には天井桟敷があります。音楽はもちろん生演奏でオーケストラが入っています。開演前にびっくりしたのは、お客さん(、といってもほとんどがスロバキアの人々ですが、)にいろいろな人がいることです。小さな子供連れで買い物帰りに来てるの?と思われるような普段着姿の家族もいれば、杖をついた年老いた老夫婦もいます。背広を着たむすっとしたおじさんが一人、これは仕事帰りに来る常連さんでしょうか。にぎやかなご婦人の一行もいます。ボックス席にはタキシードを着込んだ若い男性がドレスを着た美しい女性と飲み物を楽しみながら話しており,何かの記念日でも祝っている様子・・・などという感じです。
   いよいよ緞帳が上がりバレエが始まります。エレガントなプリマドンナの女性、準主人公役の飛び跳ねるように踊る男性、彼らと一緒に華麗に踊りながら物語を展開していくバレリーナ、バレエダンサー達・・・しかしよく見ると、プリマドンナはじめ何人かのダンサーの顔がなんとかくなじみのある、懐かしい日本の顔のような気がします。そうです、種明かしをすると、ここでは何人かの日本人バレエダンサーがスロバキア人ダンサーに交じってプロとして活躍しているのです。
 
   ヨーロッパでは数多くの日本人芸術家、音楽家が活躍しているとは聞いていましたが、実際に来てみると、ここスロバキアでも多くのバレエダンサーをはじめ、ピアニスト、版画家、絵本作家などの方々が住んでおられ、プロフェッショナルとして活躍していることを知りました。年齢的には20代から30代の若い方々が多いようですが、長年当地で活動を続けているもっとシニアの、ベテランの方々もおられます。みなさん、スロバキア社会の中に溶け込んで、スロバキア人と一緒に、同じ土俵で競い合い、磨きあい、そして生計をたてておられます。国立バレエ団では舞台監督さん等と英語でコミュニケートできるとのことですが、外国人ということで当然目に見える、あるいは見えないハンディキャップもあることでしょう。また、ありふれた表現ではありますが、慣れない異国での暮らしは、言葉のみならず食べ物、気候、風土、慣習、などなど、日本人にとっては大変なことも多いと思います。
 
   そんな人々の活躍が、スロバキアと日本という二つの国の人々を結びつけていく上で大きな力となっています。国際親善、文化交流、などと大仰な、堅苦しいことを言ってみても、実は国や政府のできることなど本当に限られていて、個々の人々の努力、人と人との一つ一つの結びつきの積み重ねこそが、言葉も人種も歴史も背景も異なる、相互の社会の理解を促進していく大本なのだ、と改めて実感した次第です。
 
   写真は、そんな活躍する日本人バレエダンサーの方と大使公邸にて懇談した際の写真です。やはりダンサーのみなさんは体を鍛えておられてプロポーションが素晴らしいですね。私だけ頭(顔)の大きさが1.5倍位大きく見える(というか、実際に大きい)のが寂しいです。
 
   文責 日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)