第八話 盆栽の「小宇宙」にはまる-スロバキア第三の都市 プレショウ市

平成28年10月20日
写真:Mareti Atelier Design
     スロバキアは北海道と大体同じ位置の緯度にありますが、秋の訪れは日本より早く、9月下旬に入るとぐっと気温が下がってきます。今回、私はスロバキアの東部に初めて出張する機会があり、スロバキアの東北地方にあたるプレショウ県の県都、プレショウ市に伺いました。
 
     プレショウ市は中世より栄えているスロバキア有数の町です。人口は約10万人。古来より大学都市として有名で、現在でも一万人近くの学生が市内の大学に通っています。
     同市は文化都市としても有名で、美しい町並みの中には、バロック、ロココ、ゴシックといった様々な様式の石造りの建築があちこちに数多く残されています。
 
     今回私が同市を訪問した第一の理由は、女性市長のアンドレア・トゥルチャノヴァーさんにご挨拶をして日本と同市の協力関係強化を協議するためでしたが、もう一つの理由は、ちょうどその時期にプレショウ市で「盆栽展」が開催されており、その主催者からご招待を受けていたからでした。
 
     盆栽展は、プレショウ市内の文化センター「黒い鷲」という、美しい劇場を会場として開かれました。石造りの建物の大ホールに中に入って見上げると、天井には色とりどりのはめ込み細工、彫刻が散りばめられており、その下に百鉢以上の様々な盆栽、そして水石が整然と並べられています。建物の中世ヨーロッパ的な荘厳な雰囲気と、日本的で清冽な楚々とした盆栽が置かれている組み合わせが、シューレアリスティックで不思議な雰囲気を醸し出していました。
 
     盆栽作りは、小さな一鉢の中に自然のすべてを凝縮して映し出す「小さな宇宙(ユニバース)」を創造する技です。
     このブログの第六回(スロバキアの料理「ブリンゾベー・ハルシュキー」)で、芸術には装飾を主として美を形作っていく「足し算の芸術」(例えばヨーロッパの多くの教会建築など)と、不必要なものをどんどん削っていって美の究極のエッセンスを見つけだそうとする「引き算の芸術」(日本の茶道や、文学でいえば俳句、和歌等)があるのではないか、というお話をさせていただきました。
     盆栽はどちらかというと、どんどん足していくよりも引いていく方が多い、「引き算の芸術」ではないかと思います。
 
     それにしても、盆栽展の参加者の方々の、盆栽にかける熱意には感銘しました。この展覧会は品評会も兼ねており、スロバキア人のみならず、近隣のチェコやポーランドの方々も多くが参加して、自ら丹精込めて作った盆栽・水石の作品を展示。紹介し合い、その中から厳正な審査により一等賞はじめランキングをつけることとなっています。そんなこともあり、展覧会場の中には静かな熱気といったようなものがみなぎっていました。
     作品はやはり松が多いのですが、黒松もあれば赤松、五葉松もあり、更にそれ以外には楓があり、実のなっている木もあり、植物に疎い私には、いったいこの木はなんだろう、という感じでわからないことだらけでした。日本人として恥じ入った次第です。自然の石を台座または水盤に砂を入れて載せ、それを愛でる「水石」も合わせ数多く展示されていました。
 
     盆栽には両手で抱えられないほど大きなものから、手の上に乗るほど小さなものまで様々なバラエティがありました。植物という生き物を相手にこれだけ時間をかけて一つの盆栽を育て作り上げるための時間と忍耐力。そしてそれを一つの作品として美しいものに仕上げる美的なセンス。枝ぶり。葉の美しさや艶やかさ。バランス。季節感。そして全体として醸し出される「小宇宙」としての雰囲気。素人の私には良くわかりませんが、自然を愛するスロバキアの人々の多くが、盆栽に「はまる」気持ちがよくわかるような気がしました。
 
     ちなみに日本から世界に輸出される盆栽は金額で毎年数十億円規模に上るそうです。盆栽はもはや日本の盆栽ではなく世界の盆栽になっているようです。そしてさらに付け加えれば、盆栽は「お年寄りの道楽」ではなく、少なくともスロバキアでは多くの若い人々も引き付けるようになっています。
 
     文責 日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)