第九話 世界遺産と、世界で二番目に古いマラソン大会:コシツェ

平成28年10月28日
     コシツェ市はスロバキア東部のコシツェ県の県都です。首都ブラチスラバ市に次いで同国で二番目に大きな町で、人口は約30万人。北に上ればポーランド、南に下ればハンガリー。車で東に1~2時間走ればウクライナ国境に至ります。古来より交通の要衝に位置し、中部ヨーロッパの古都として栄えてきました。ウィーン(オーストリア)に近いスロバキア西部のブラチスラバ市に住んでいる私の目から見ると、同市は、スラブ民族情緒がより濃い、異国情緒あふれるロマンチックな街のように映ります。
 
     スロバキアは1993年のチェコスロバキアからの分離・独立以降、外国からの投資の積極的な受け入れによって国興しを進めてきました。その中でも特にコシツェ県・市は外資の受け入れに積極的で、たくさんの外国企業が工場を作っています。日本の企業でも、ミハロウツェ市にはスロバキア人3000人以上を雇用する日本企業の工場があり、コシツェ市郊外には2000人近くを雇う別の日本企業の工場があります。今回私はこれらの工場を視察させていただいてきました。双方向の投資の促進は、日本のビジネスと、スロバキア-特にコシツェ-の地元の経済が潤うウィン・ウィンの関係につながります。二国間の友好関係の促進という観点からも、ありがたいと思った次第です。
     工場視察とは別途、コシツェ市においてコシツェ県知事とコシツェ市長を各々表敬訪問しました。地元に進出している日系企業や邦人の方々への配慮・保護をお願いするとともに、さらなる経済関係の強化、文化交流、観光促進等々、日本と同県・市の協力関係について色々と意見交換させていただきました。
     インターネットや携帯電話等ITによる通信手段が発達した21世紀ですが、やはり直接現場まで赴き、その土地を知り、その土地の食べ物を食べ、地元の方々、特に責任者の方々と直接に話をして「顔をつないでおくこと」は仕事を進める上きわめて重要です。これは日本のみならず世界中共通だと改めて感じた次第です。
 
     県知事や市長も述べられていましたが、コシツェには日本との投資や経済関係の促進がもちろん重要なのですが、それに加えて、日本とスロバキアの人々の「人と人との繋がり」も大事だ、ということを話しました。
     人と人との繋がり、というとまず考えるのが文化面での協力、すなわちお互いの文化の紹介です。ここにいう「文化」には伝統的な芸術から漫画やアニメなどのポップカルチャー、更には食文化までと幅広く含まれます。また、お互いの言葉を知ること、特に日本語教育のスロバキアにおける普及も同様に広い文化交流の一つと言えます。
     同時に人と人をつなげる上で重要なのは観光で、より多くのスロバキアの人々に日本を訪れ知っていただくとともに、沢山の日本人観光客の方々にスロバキアに来ていただき、スロバキアの美しい自然や歴史、伝統ある文化やおいしいお酒、食べ物等を経験していただきたいと思います。
 
     現在スロバキアにくる日本人観光客のほとんどは、例えばお隣オーストリアのウィーンから日帰りツアーでスロバキア西部にある首都ブラチスラバに数時間滞在するだけで帰ってしまいます。例えば、スロバキアにある8つのユネスコ世界遺産の内、7割近くが東部にあるのですが、これらは日本のガイドブックには紹介されているものの日本人にはほとんど知られておらず、思いっきり「穴場」状態になっています。
     一足伸ばしてコシツェまで来てしまえば、天空に浮かぶ巨城「スピシュ城」はじめ、珠玉の世界遺産の数々が日本からの観光客のみなさんをお待ちしています。現在コシツェへはブラチスラバから車だと4時間強かかりますが、完成間近と言われている国内の高速道路網がすべてつながれば、時間は半分近くに短縮すると言われています。さらにコシツェ国際空港には近隣のウィーンやワルシャワ、プラハ、更にはトルコのイスタンブールからも直行便が飛んでいるそうで、ヨーロッパ訪問の際に、国内便に乗る感覚でコシツェまでひとっ跳びして立ち寄れば、まだ多くの日本人に知られていない中部ヨーロッパのお宝の世界が、皆さんの目の前に広がります。
 
     ところで、コシツェ県庁に挨拶にいった際に、県知事から突然「ソウ タケシさんを知っていますか?」と聞かれてびっくりしました。宗武・宗茂(しげる)兄弟は、日本人ではご存じの方も多いと思いますが、主として1970年代から90年代にかけて世界的に活躍した日本人の兄弟マラソンランナーです。県知事によると、1930年から開催されているコシツェ平和マラソンは、アメリカの有名なボストン・マラソンに次いで世界第二位の最古のマラソン大会であり、ヨーロッパ内では最も古い歴史を誇る大会であるということです。そして、1976年の大会では宗猛さんが優勝したということで、中央広場に立つマラソン大会を記念する大きな石碑には、今でも「Sou Takeshi」の名が刻まれているとのことでした(後で実際に行って見てきました。女子マラソンでは2004年に日本人の田橋里花さんが同じく優勝しておられ、これも名前が石碑に刻まれていました)。
 
     日本の一部のマラソン・ファンの間ではコシツェ平和マラソンのことはすでに知られており、参加されている方もいるようですが、私は不覚にも不勉強でした。
     偶然にも、私がコシツェ市を訪問していた9月30日(金曜日)の翌々日の10月2日(日曜日)が、第93回コシツェ平和マラソンの当日でした。県知事から社交辞令でしょうが「大使も出ませんか?」と誘われ、素人ランナーの私としては心が大きく動いたのですが、仕事の関係もあり、涙を呑んでお誘いを辞退せざるをえませんでした。
 
     一連の訪問を終わり、コシツェ市を離れる前に、市中心部の中央広場で簡単に昼食をとりました。ブラチスラバの中央広場がドイツ・タイプの正方形であるのに対し、コシツェの広場はロシア・タイプの長方形の巨大な石畳の広場です。原則として車の乗り入れが禁止で一年365日・毎日24時間さわやかな歩行者天国というのは、ブラチスラバ市と同じです。歩いて一周するだけで15分以上かかる広さですが、真ん中には大きな聖アルジュベタ教会がすっくと聳え立っています。広場を囲むように、市庁舎はじめレストランやカフェなどが数多く立ち並んでおり、殆どすべて石造りの古い建物ばかりです。広場が広大なので、一見閑散としているようにも見えますが、お店はどこもお客さんで一杯でにぎわっていました。
 
     私は食後のコーヒーを飲みながら広場を行きかう人々を見つめつつ、「来年こそは、なんとか休暇をとってコシツェに来て、平和マラソンに参加するぞ」と心密かに誓ったのでした(・・・といっても、参加できたとしても完走できるのか、といった問題がそもそもあるのですが・・)。
 
     文責 日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)