第十二話 ブラチスラバ・ロール寿司の開発「秘話」
平成28年12月9日
本年4月に日本の大使としてスロバキアに着任して以来、地元の多くの方々と知り合いになるに連れて、この素晴らしい国と国民について沢山のことを学ばせていただいています。その一つは、スロバキアには首都ブラスチラバを中心に、地方にも日本料理店が結構ある、ということです。
私がスロバキアに来る前には、スロバキアの人々は「ミート・イーター」であり、内陸国なので魚はあまり食べない、という説明を日本で受けていました。
日本料理では肉も多く使いますが、四海に囲まれた日本の食文化の花はなんといっても魚料理です。在外の日本大使館のミッションの一つは、日本料理を含む日本の文化の紹介や普及ですが、もしスロバキアの人々が魚を食べないのであれば、どうやって日本料理を紹介したらよいだろうか、当時は思い悩んだものでした。
ところが,実際にスロバキアの土地にやってきたところ、すべてのスロバキア人ではないにせよ、多くの方々が寿司をはじめとする日本料理が好きなことがわかりました。
もう一つ、私が日本で受けていた説明は、「肉中心の脂っこいスロバキア料理は日本人の舌に必ずしも合わない」という迷信?でした。日本には(私の知る限り)スロバキア料理店がまだ一軒もないことから、確かにスロバキア料理は多くの日本人にまだ知られていません。代表的食材とも言えるブリンザ・チーズ(羊乳のフレッシュチーズ)は,他国同様に日本でも入手困難ですし、スリボビツァ(スロバキア特産のスモモなどから作る蒸留酒)は入手困難です。ベーコンは日本でも食べますがカリカリに炒めて調理するのが普通で、スロバキア人のように生で食べる習慣はありません。
ところが、実際に私がスロバキアに来てみると、美味しいものだらけなのです。
ほんの一例を挙げれば、まずスロバキアの看板料理とも言えるブリンゾベー・ハルシュキ(ジャガイモと小麦粉のニョッキに羊のフレッシュチーズをかけて混ぜ、上にカリカリベーコンを載せたもの)があります。ビプラジャニー・スィール(厚めに切った溶けるチーズを揚げたもの。ジャガイモを添えるのが普通)は大人にも子供にも受けます。ロクシェ(小麦粉とジャガイモの粉で作ったパンケーキ。ジャムなどの甘い具材、または酢漬けのキャベツなど塩味の具材を巻き込んで食べる)は家内の大好物となりました。ドゥルシュコバー・ポリエウカ(内臓を煮込んだトマト味のスープ)は私のお気に入りの一品です。スロバキアにはお菓子もいろいろとありますが、最近夫婦ではまっているのは屋台で買うトゥルデルニーク(お店で茶筒のような金属の筒にドーナッツ生地を巻き付け回転させながら炭火で焼き、焼き立てをココナッツやココアの粉の上に転がして味をつけてホカホカを食べる)です。なお、この甘いおやつは日本人の多くにチェコのお菓子と誤解されているようですが、実際はスロバキアが起原です。
日本では入手が難しい新鮮な肉やチーズ、野菜等を使った料理はどれもおいしく、またスロバキア特産のワインやビールにもぴったりと合うのはなんとも嬉しい発見でした。
これらの新たな発見もあり、私としては、日本料理をスロバキアの人々にもっと広く普及すると同時に、スロバキアのおいしい食材(農産品)を日本はじめアジア、ひいては世界の人々に紹介するためになにか考えられないかと、「一石二鳥」を考えはじめるようになった次第です。
そこで思いついたのが、私のアメリカ合衆国勤務時代の、寿司をめぐるいくつかのささやかな経験でした。
私は過去二回、ニューヨークとワシントンDCに合計六年間勤務しました。その際、多くのアメリカ人と親交を結びましたが、感銘を受けたのは、寿司好きのアメリカ人が多いということだけではなく、アメリカ人やアメリカに住んでいる日本人たちが寿司をどんどん自分流にアレンジして、新たなメイド・イン・アメリカのロール寿司(海苔と酢飯で様々な具材を巻き込んだ寿司)を作り出していること、そしてそれらがアメリカ国内(特に東海岸や西海岸)で多くのアメリカ人に食べられるようになっていることでした。
これらの中で一番有名なのは、カリフォルニア・ロール寿司でしょう。都市伝説によれば、この寿司は1963年にロサンジェルスの日本人街「リトル・東京」の中の、とある日本レストランで開発されたのだそうです。カニ、アボガド、マヨネーズ、ゴマ等を海苔とご飯の寿司に巻き込んだものです。アメリカ国内のみならず日本でも有名になって、アメリカ発の寿司が「逆輸入」されて日本でも食べられるようになっています。今ではレインボー・ロール寿司やドラゴン・ロール寿司、更には州別に例えばフィラデルフィア・ロール寿司やアリゾナ・ロール寿司などなどと様々なバラエティが生まれており、アメリカでは何十種類もの創作巻き寿司が楽しめるようになっています。
私がワシントンDCに勤務している際には、アメリカ人の知人を誘って寿司バーに行く機会が数多くありました。そんなある日、誘った相手がアリゾナ州出身だったこともあり、二人でアリゾナ・ロール寿司を頼んでみました。アリゾナ・ロール寿司というのは天ぷら風に油で揚げたソフト・シェル・クラブを寿司に巻き込んであるという変り種で、私もその時に初めて食べました。バリバリとした食感が珍しく結構おいしかったのですが、そのアリゾナ州出身の知人に、「なんでアリゾナ・ロール寿司がソフト・シェル・クラブなんだ?」と聞いたところ、彼は30秒くらい間をおいて、「実は自分もそれを今、ずっと考えていたんだけど、どうしても分からない・・・」と答えました・・・。このネーミングの理由は今でもわからず、私にとっては謎のままです。
アメリカにこのように様々なロール寿司があるのは、同国が歴史的に移民によって作られた多民族国家であることが背景にあるからでしょう。すなわち「メルティングポット」あるいは「サラダボウル」と言われるように、様々な人種の人々が混ざり合って、いわば「ゼロ」から多様な文化、料理を作り出してきたダイナミズムがアメリカ社会には今でもあるのだと思います。
他方、ヨーロッパの国々は日本と同様に太古から積み重ねてきた長年の伝統があり、各国、各民族の固有の食文化というものが連綿として積み重ねられてきています。そんなこともあってか、ヨーロッパで「パリ・ロール寿司」とか「ロンドン・ロール寿司」というものを私は聞いたことがありません。
そこで今回、日本の伝統料理の寿司と、スロバキアの伝統食材をフュージョンさせて、おそらくヨーロッパで初めてとなる「メイド・イン・スロバキア」のロール寿司を作ろうと、無謀なことを考えるにいたった次第です。
日本語では「思い立ったが吉日」と言いますが、この「メイド・イン・スロバキア」ロール寿司を作るアイディアを、私は本年6月にブラチスラバ市内で行われた大使着任披露のレセプションにおいて、150人近くいるお客様の前で披露するとともに、年内に完成させると約束してしまいました。大げさに言えば、自ら退路を断ってしまったわけです。
そこまでは良かったのですが、実際に新しいロール寿司を開発するのには苦労を重ねました。ブラチスラバ市内の緑豊かなホルスキー・パークの側にある日本大使公邸で、私と家内、そして公邸料理人の川平さんの三人で日夜議論をし、またスロバキア人の知人にもいろいろとアドバイスをもらいました。
スロバキアの食材でなんといっても有名なのは羊のフレッシュチーズであるブリンザ・チーズなので、これは何としても使いたかったのですが、ブリンザはおいしいと同時に味の癖も強く、個性が強い食材なので寿司飯やほかの食材とうまく合わせるのが容易ではない、ということがわかりました。
色々試しても良いロール寿司ができないままに、季節は夏から秋に移りました。11月にはブラチスラバ市内で多くのスロバキア人のお客様をお招きして天皇陛下の誕生日を祝賀するナショナルデー・レセプションも予定されています。私はだんだん焦りだしました。
そこで突然ひらめいたのが、ニューヨーク勤務時代にマンハッタンの寿司屋で時々食べた、「ニューヨーク・ロール寿司」でした。この寿司は日本では殆ど知られておらず、アメリカ国内でもカリフォルニア・ロール程有名ではありません。ひょっとしてニューヨークでしか食べられないローカルなロール寿司なのかもしれません。これは鮭の皮を炭火でカリカリにあぶったものを、ネギと一緒に寿司に巻き込んだものです。アメリカでは鮭の身(サーモン)は広く食べられていますが、鮭の皮は固いこともありそのまま捨てられています。ところがその皮をカリカリに焼くとパリパリと良い食感になり、また皮の裏には脂がコッテリとついているので、コクもあって寿司に巻くと結構いけるのです。
スロバキアの代表的食材の一つといえばベーコンです。そのベーコンを鮭の皮のようにカリカリに焼いて寿司に巻き込んだら、コッテリしたベーコンの脂身と寿司飯がマッチし、また、その食感がニューヨーク・ロール寿司のように美味しく感じるのではないか、と思いつきました。実際に料理人に作ってもらい食べてみるとなかなかのコンビネーションです。
あとは、ベーコンと言えばスロバキア流にチーズと組み合わせるのが一番ということで、あっさりとしたスロバキア産の紐チーズのニテ、そして健康のためには野菜も入れた方が良いということで焼いたパプリカ、最後に、スロバキア人の友達の提案もあり香りづけとしてチャイブを加えて、全部を寿司に巻き込むことにしました。
カリカリベーコンの赤、紐チーズの黄色、焼きパブリカのオレンジ、チャイブの緑、そして白い寿司飯と黒い海苔と彩りもよいことから、美味しいばかりか、見栄えもよいロール寿司が完成しました。日本大使館で働くスロバキア人・日本人の同僚たちに試食してもらったところ、結果は好評でした。
名前については、これを「スロバキア・ロール寿司」としてしまうとこれ以上のメイド・イン・スロバキアのロール寿司が開発できないことにもなりかねないので、アメリカ流に地方別に名付けよう、ということで、首都に敬意を表して「ブラチスラバ・ロール寿司」と名付けました。この点については、ブラチスラバ県のフレショ知事とブラチスラバ市のネスロウナル市長にそれぞれお会いする機会があったので、「ブラチスラバ」という名前を使うことについてお話ししました。お二人とも笑いながら了承してくださいました。
そこで困ったのは、ブリンザ・チーズの扱いです。このチーズは個性が強いので、どのように工夫しても、寿司の酢飯の味が「負けて」しまうのです。しかしスロバキアのシンボルのようなこの食材は何としても使いたい。色々と試行錯誤した結果、スロバキアの唐辛子の酢漬け「フォリフォリ」をみじん切りにしてブリンザに混ぜると、癖のあるブリンザの味とピリピリと辛いフォリフォリの刺激がうまくバランスを取り合って、寿司飯の味を生かしながら食べられることがわかりました。こうしてブラチスラバ・ロールとは別途、第二号のロール寿司が完成し、これは「スパイシー・ブリンザ・ロール寿司」と名付けました。
ちなみに、こちらについても大使館内で試食してもらったところ、「美味しい」という人もいる一方「美味しくない」という答えもありました。万人向けのブラチスラバ・ロール寿司に比べ、スパイシー・ブリンザ・ロールは癖が強いので好き嫌いがはっきり分かれる、ということなのでしょう。
こうして二種類の「メイド・イン・スロバキア」ロール寿司ができたわけですが、今度はこれを世の中に広めて、多くのスロバキア人、更には日本人を含む外国の方々に食べてもらう必要があります。
そこで私が幸運だったのは、10月にマテチナー農業・農村開発大臣にお会いできたことです。大臣にこの話を紹介したところ、スロバキア農産品の普及という意味からも趣旨にご賛同いただきました。スロバキア農業・農村開発省からのご出席を得て、11月初めには日本大使公邸で二つのスロバキア産ロール寿司の発表会を行いました。そこにはスロバキアの「食」業界の関係者、食のブロガー、プレスの方々、そしてブラチスラバの日本レストランの経営者の方々等をお招きしました。マテチナー大臣ご自身にも御出席いただいた上で、ブラチスラバ・ロール寿司とブリンザ・スパイシー・ロール寿司を作る実演を皆さんにお見せし、試食をしていただき、そしてレシピを公開配布しました。この試食会の模様はテレビや新聞でも大きく報道され各種ブログ等でも取り上げられました。
また別途、「テレラーノ」というスロバキア国内では有名な高視聴率を誇る朝のテレビ番組に、私と川平公邸料理人、そして大使館の広報文化担当の小松書記官が招待され、生番組で二つのロール寿司を作るところを実演しつつ視聴者に紹介する、といった機会もいただきました。
11月下旬にはブラチスラバ市内のホテルで日本のナショナルデー・レセプションを開催しました。250名のお客様においでいただきましたが、そこ場でこの二種類のロール寿司を私よりご紹介し、実際に作ってお出ししたところ、あっという間にお食べいだだきました。
このように、スロバキアの多くの方々のお知恵とご支援により、日本料理とスロバキアの農産品のマリアージュ(結婚)ともいえる、二種類のロール寿司ができました。これらは、日本人や多くのアジア人等にとってはスロバキアの美味しい食材を気軽に知っていただくゲートウェイ(入口)の一つになるでしょうし、また、スロバキアの方々にとっては、魚は苦手、とか寿司を食べたことがない、という方々も含め、日本料理の入門編としてまさに食いつきやすい料理と言えるのではないかと考えています。
このブログが掲載されている在スロバキア日本大使館のホームページには、日本語とスロバキア語でレシピを公表してあります。料理に関心のある方はぜひ作ってみてください。
また、スロバキアにお住まいの方は、日本レストランにいったら「ブラチスラバ・ロール寿司はありますか?」と一度聞いてみてください。
最後に、「ブラチスラバ・ロール」がある以上、スロバキアの他の地方や都市の名前を冠した、新たなロール寿司を作ることも自由であり、可能です。それはスロバキアに住むスロバキアの方々が独自に創られてもよいわけですし、スロバキアに住む日本人や他国の人々が発明してもよいと思います。
もし、大使館のサジェスチョンを得たい、相談したい、ということでしたら、どうぞご連絡ください。
文責 日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)
私がスロバキアに来る前には、スロバキアの人々は「ミート・イーター」であり、内陸国なので魚はあまり食べない、という説明を日本で受けていました。
日本料理では肉も多く使いますが、四海に囲まれた日本の食文化の花はなんといっても魚料理です。在外の日本大使館のミッションの一つは、日本料理を含む日本の文化の紹介や普及ですが、もしスロバキアの人々が魚を食べないのであれば、どうやって日本料理を紹介したらよいだろうか、当時は思い悩んだものでした。
ところが,実際にスロバキアの土地にやってきたところ、すべてのスロバキア人ではないにせよ、多くの方々が寿司をはじめとする日本料理が好きなことがわかりました。
もう一つ、私が日本で受けていた説明は、「肉中心の脂っこいスロバキア料理は日本人の舌に必ずしも合わない」という迷信?でした。日本には(私の知る限り)スロバキア料理店がまだ一軒もないことから、確かにスロバキア料理は多くの日本人にまだ知られていません。代表的食材とも言えるブリンザ・チーズ(羊乳のフレッシュチーズ)は,他国同様に日本でも入手困難ですし、スリボビツァ(スロバキア特産のスモモなどから作る蒸留酒)は入手困難です。ベーコンは日本でも食べますがカリカリに炒めて調理するのが普通で、スロバキア人のように生で食べる習慣はありません。
ところが、実際に私がスロバキアに来てみると、美味しいものだらけなのです。
ほんの一例を挙げれば、まずスロバキアの看板料理とも言えるブリンゾベー・ハルシュキ(ジャガイモと小麦粉のニョッキに羊のフレッシュチーズをかけて混ぜ、上にカリカリベーコンを載せたもの)があります。ビプラジャニー・スィール(厚めに切った溶けるチーズを揚げたもの。ジャガイモを添えるのが普通)は大人にも子供にも受けます。ロクシェ(小麦粉とジャガイモの粉で作ったパンケーキ。ジャムなどの甘い具材、または酢漬けのキャベツなど塩味の具材を巻き込んで食べる)は家内の大好物となりました。ドゥルシュコバー・ポリエウカ(内臓を煮込んだトマト味のスープ)は私のお気に入りの一品です。スロバキアにはお菓子もいろいろとありますが、最近夫婦ではまっているのは屋台で買うトゥルデルニーク(お店で茶筒のような金属の筒にドーナッツ生地を巻き付け回転させながら炭火で焼き、焼き立てをココナッツやココアの粉の上に転がして味をつけてホカホカを食べる)です。なお、この甘いおやつは日本人の多くにチェコのお菓子と誤解されているようですが、実際はスロバキアが起原です。
日本では入手が難しい新鮮な肉やチーズ、野菜等を使った料理はどれもおいしく、またスロバキア特産のワインやビールにもぴったりと合うのはなんとも嬉しい発見でした。
これらの新たな発見もあり、私としては、日本料理をスロバキアの人々にもっと広く普及すると同時に、スロバキアのおいしい食材(農産品)を日本はじめアジア、ひいては世界の人々に紹介するためになにか考えられないかと、「一石二鳥」を考えはじめるようになった次第です。
そこで思いついたのが、私のアメリカ合衆国勤務時代の、寿司をめぐるいくつかのささやかな経験でした。
私は過去二回、ニューヨークとワシントンDCに合計六年間勤務しました。その際、多くのアメリカ人と親交を結びましたが、感銘を受けたのは、寿司好きのアメリカ人が多いということだけではなく、アメリカ人やアメリカに住んでいる日本人たちが寿司をどんどん自分流にアレンジして、新たなメイド・イン・アメリカのロール寿司(海苔と酢飯で様々な具材を巻き込んだ寿司)を作り出していること、そしてそれらがアメリカ国内(特に東海岸や西海岸)で多くのアメリカ人に食べられるようになっていることでした。
これらの中で一番有名なのは、カリフォルニア・ロール寿司でしょう。都市伝説によれば、この寿司は1963年にロサンジェルスの日本人街「リトル・東京」の中の、とある日本レストランで開発されたのだそうです。カニ、アボガド、マヨネーズ、ゴマ等を海苔とご飯の寿司に巻き込んだものです。アメリカ国内のみならず日本でも有名になって、アメリカ発の寿司が「逆輸入」されて日本でも食べられるようになっています。今ではレインボー・ロール寿司やドラゴン・ロール寿司、更には州別に例えばフィラデルフィア・ロール寿司やアリゾナ・ロール寿司などなどと様々なバラエティが生まれており、アメリカでは何十種類もの創作巻き寿司が楽しめるようになっています。
私がワシントンDCに勤務している際には、アメリカ人の知人を誘って寿司バーに行く機会が数多くありました。そんなある日、誘った相手がアリゾナ州出身だったこともあり、二人でアリゾナ・ロール寿司を頼んでみました。アリゾナ・ロール寿司というのは天ぷら風に油で揚げたソフト・シェル・クラブを寿司に巻き込んであるという変り種で、私もその時に初めて食べました。バリバリとした食感が珍しく結構おいしかったのですが、そのアリゾナ州出身の知人に、「なんでアリゾナ・ロール寿司がソフト・シェル・クラブなんだ?」と聞いたところ、彼は30秒くらい間をおいて、「実は自分もそれを今、ずっと考えていたんだけど、どうしても分からない・・・」と答えました・・・。このネーミングの理由は今でもわからず、私にとっては謎のままです。
アメリカにこのように様々なロール寿司があるのは、同国が歴史的に移民によって作られた多民族国家であることが背景にあるからでしょう。すなわち「メルティングポット」あるいは「サラダボウル」と言われるように、様々な人種の人々が混ざり合って、いわば「ゼロ」から多様な文化、料理を作り出してきたダイナミズムがアメリカ社会には今でもあるのだと思います。
他方、ヨーロッパの国々は日本と同様に太古から積み重ねてきた長年の伝統があり、各国、各民族の固有の食文化というものが連綿として積み重ねられてきています。そんなこともあってか、ヨーロッパで「パリ・ロール寿司」とか「ロンドン・ロール寿司」というものを私は聞いたことがありません。
そこで今回、日本の伝統料理の寿司と、スロバキアの伝統食材をフュージョンさせて、おそらくヨーロッパで初めてとなる「メイド・イン・スロバキア」のロール寿司を作ろうと、無謀なことを考えるにいたった次第です。
日本語では「思い立ったが吉日」と言いますが、この「メイド・イン・スロバキア」ロール寿司を作るアイディアを、私は本年6月にブラチスラバ市内で行われた大使着任披露のレセプションにおいて、150人近くいるお客様の前で披露するとともに、年内に完成させると約束してしまいました。大げさに言えば、自ら退路を断ってしまったわけです。
そこまでは良かったのですが、実際に新しいロール寿司を開発するのには苦労を重ねました。ブラチスラバ市内の緑豊かなホルスキー・パークの側にある日本大使公邸で、私と家内、そして公邸料理人の川平さんの三人で日夜議論をし、またスロバキア人の知人にもいろいろとアドバイスをもらいました。
スロバキアの食材でなんといっても有名なのは羊のフレッシュチーズであるブリンザ・チーズなので、これは何としても使いたかったのですが、ブリンザはおいしいと同時に味の癖も強く、個性が強い食材なので寿司飯やほかの食材とうまく合わせるのが容易ではない、ということがわかりました。
色々試しても良いロール寿司ができないままに、季節は夏から秋に移りました。11月にはブラチスラバ市内で多くのスロバキア人のお客様をお招きして天皇陛下の誕生日を祝賀するナショナルデー・レセプションも予定されています。私はだんだん焦りだしました。
そこで突然ひらめいたのが、ニューヨーク勤務時代にマンハッタンの寿司屋で時々食べた、「ニューヨーク・ロール寿司」でした。この寿司は日本では殆ど知られておらず、アメリカ国内でもカリフォルニア・ロール程有名ではありません。ひょっとしてニューヨークでしか食べられないローカルなロール寿司なのかもしれません。これは鮭の皮を炭火でカリカリにあぶったものを、ネギと一緒に寿司に巻き込んだものです。アメリカでは鮭の身(サーモン)は広く食べられていますが、鮭の皮は固いこともありそのまま捨てられています。ところがその皮をカリカリに焼くとパリパリと良い食感になり、また皮の裏には脂がコッテリとついているので、コクもあって寿司に巻くと結構いけるのです。
スロバキアの代表的食材の一つといえばベーコンです。そのベーコンを鮭の皮のようにカリカリに焼いて寿司に巻き込んだら、コッテリしたベーコンの脂身と寿司飯がマッチし、また、その食感がニューヨーク・ロール寿司のように美味しく感じるのではないか、と思いつきました。実際に料理人に作ってもらい食べてみるとなかなかのコンビネーションです。
あとは、ベーコンと言えばスロバキア流にチーズと組み合わせるのが一番ということで、あっさりとしたスロバキア産の紐チーズのニテ、そして健康のためには野菜も入れた方が良いということで焼いたパプリカ、最後に、スロバキア人の友達の提案もあり香りづけとしてチャイブを加えて、全部を寿司に巻き込むことにしました。
カリカリベーコンの赤、紐チーズの黄色、焼きパブリカのオレンジ、チャイブの緑、そして白い寿司飯と黒い海苔と彩りもよいことから、美味しいばかりか、見栄えもよいロール寿司が完成しました。日本大使館で働くスロバキア人・日本人の同僚たちに試食してもらったところ、結果は好評でした。
名前については、これを「スロバキア・ロール寿司」としてしまうとこれ以上のメイド・イン・スロバキアのロール寿司が開発できないことにもなりかねないので、アメリカ流に地方別に名付けよう、ということで、首都に敬意を表して「ブラチスラバ・ロール寿司」と名付けました。この点については、ブラチスラバ県のフレショ知事とブラチスラバ市のネスロウナル市長にそれぞれお会いする機会があったので、「ブラチスラバ」という名前を使うことについてお話ししました。お二人とも笑いながら了承してくださいました。
そこで困ったのは、ブリンザ・チーズの扱いです。このチーズは個性が強いので、どのように工夫しても、寿司の酢飯の味が「負けて」しまうのです。しかしスロバキアのシンボルのようなこの食材は何としても使いたい。色々と試行錯誤した結果、スロバキアの唐辛子の酢漬け「フォリフォリ」をみじん切りにしてブリンザに混ぜると、癖のあるブリンザの味とピリピリと辛いフォリフォリの刺激がうまくバランスを取り合って、寿司飯の味を生かしながら食べられることがわかりました。こうしてブラチスラバ・ロールとは別途、第二号のロール寿司が完成し、これは「スパイシー・ブリンザ・ロール寿司」と名付けました。
ちなみに、こちらについても大使館内で試食してもらったところ、「美味しい」という人もいる一方「美味しくない」という答えもありました。万人向けのブラチスラバ・ロール寿司に比べ、スパイシー・ブリンザ・ロールは癖が強いので好き嫌いがはっきり分かれる、ということなのでしょう。
こうして二種類の「メイド・イン・スロバキア」ロール寿司ができたわけですが、今度はこれを世の中に広めて、多くのスロバキア人、更には日本人を含む外国の方々に食べてもらう必要があります。
そこで私が幸運だったのは、10月にマテチナー農業・農村開発大臣にお会いできたことです。大臣にこの話を紹介したところ、スロバキア農産品の普及という意味からも趣旨にご賛同いただきました。スロバキア農業・農村開発省からのご出席を得て、11月初めには日本大使公邸で二つのスロバキア産ロール寿司の発表会を行いました。そこにはスロバキアの「食」業界の関係者、食のブロガー、プレスの方々、そしてブラチスラバの日本レストランの経営者の方々等をお招きしました。マテチナー大臣ご自身にも御出席いただいた上で、ブラチスラバ・ロール寿司とブリンザ・スパイシー・ロール寿司を作る実演を皆さんにお見せし、試食をしていただき、そしてレシピを公開配布しました。この試食会の模様はテレビや新聞でも大きく報道され各種ブログ等でも取り上げられました。
また別途、「テレラーノ」というスロバキア国内では有名な高視聴率を誇る朝のテレビ番組に、私と川平公邸料理人、そして大使館の広報文化担当の小松書記官が招待され、生番組で二つのロール寿司を作るところを実演しつつ視聴者に紹介する、といった機会もいただきました。
11月下旬にはブラチスラバ市内のホテルで日本のナショナルデー・レセプションを開催しました。250名のお客様においでいただきましたが、そこ場でこの二種類のロール寿司を私よりご紹介し、実際に作ってお出ししたところ、あっという間にお食べいだだきました。
このように、スロバキアの多くの方々のお知恵とご支援により、日本料理とスロバキアの農産品のマリアージュ(結婚)ともいえる、二種類のロール寿司ができました。これらは、日本人や多くのアジア人等にとってはスロバキアの美味しい食材を気軽に知っていただくゲートウェイ(入口)の一つになるでしょうし、また、スロバキアの方々にとっては、魚は苦手、とか寿司を食べたことがない、という方々も含め、日本料理の入門編としてまさに食いつきやすい料理と言えるのではないかと考えています。
このブログが掲載されている在スロバキア日本大使館のホームページには、日本語とスロバキア語でレシピを公表してあります。料理に関心のある方はぜひ作ってみてください。
また、スロバキアにお住まいの方は、日本レストランにいったら「ブラチスラバ・ロール寿司はありますか?」と一度聞いてみてください。
最後に、「ブラチスラバ・ロール」がある以上、スロバキアの他の地方や都市の名前を冠した、新たなロール寿司を作ることも自由であり、可能です。それはスロバキアに住むスロバキアの方々が独自に創られてもよいわけですし、スロバキアに住む日本人や他国の人々が発明してもよいと思います。
もし、大使館のサジェスチョンを得たい、相談したい、ということでしたら、どうぞご連絡ください。
文責 日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)