第十七話 番号の男
平成29年4月25日

「番号の男」という言葉からなにを想像しますか?私が真っ先に思い出すのは、007ことジェームズ・ボンド。小説や映画に出てくるあの有名な、「殺しのライセンス」を持っている英国の秘密情報部員です。
スロバキアに赴任して一年、私も「番号の男」になりました。ただしこちらは「走りのライセンス」です。スロバキアの首都ブラチスラバで行われる「デヴィーン~ブラチスラバ・マラソン」の第70回大会に参加するためにゼッケン・ナンバーをもらったのです。
マラソンのスタート地点となるデヴィーン城は、チェコ領から南下してくるモラバ川の水が、オーストリア領から東に向かって流れてくるドナウ川と合流する地点にあります。国境沿いの河岸の高台にそびえ立つ城の頂上からは、オーストリア、チェコ、そしてスロバキアの広大な森々を遙か遠くまで見渡すことができます。
このデヴィーン城からドナウ川沿いに、ブラチスラバ旧市街のゴールまで約11キロメートルを走るのがこのマラソン大会です。第二次大戦直後に行われた1947年の第一回大会の出場者はわずか24人だったそうですが、その後、チェコスロバキアの共産主義化、ビロード民主革命、そして、スロバキアの分離と独立等々の歴史の幾星霜を経て、今回の70回大会には7500人近くが参加するという、メジャーな大会となりました。
大会当日の4月9日(日曜日)は素晴らしい快晴、マラソン日和に恵まれました。早朝にスタート地点のデヴィーン城の麓に行くと、広場には既に多くの老若男女が集まりだしています。横にはドナウ川が滔々と流れ、上を見渡せば、朝日にきらきらとデヴィーン城が光っています。日本と比べスロバキアは湿気が少ないからかでしょうか、空気の透明感が違い、すべての景色がよりクリアで明るく見えるような気がします。
朝10時、城の古い大砲から号砲一発がズドンと鳴って、7000人以上が一斉に走り出しました。
今「一斉に走り出しました」と書いたのですが、実際にはこれだけ多くの人数が一斉に走り始めるのは無理ですし、危険でもあります。スタート地点の一番先頭にいるエリート招待選手達は矢のように飛び出していきましたが、大多数の一般の参加者達、特に私のように集団の真ん中から後ろ方にいる選手の多くはすし詰め状態で、最初からはとても走り出せません。周りの人にぶつからないようにそろそろと歩き出し、やがて公道に出て集団がばらけ出してから、やっと本格的に走り出せた、というのが実情でした。
マラソンコースはデヴィーン地区とブラチスラバ市旧市街を結ぶドナウ川沿いの往復二車線の国道で、すべて舗装道路です。大会の期間中は車両を一切入れずにランナー専用となっています。スタートしたデヴィーン地区は、ブラチスラバ市に住むスロバキア人の多くが引退したら住みたがる、緑豊かで美しい静かな村ですが、そこからコースに従い、右側にドナウ川の流れを見ながらブラチスラバ市旧市街に向かって何千人ものランナーがかけていきます。
沿道には多くのスロバキア人が出ていて声援してくれます。「ポチ!ポチ!」というかけ声も多いです。「ポチ」というのは日本語では代表的な犬の名前なので、最初はちょっと戸惑いました。スロバキア語では「come」の意味だそうです。納得しました。
11キロのコースは、入賞クラスの最速ランナーだと35分程度でゴールまで走りきってしまいます。約42キロのフルマラソンに比べ相当速いペースで皆さん走ることになります。しかし、私は中年ランナーで、しかも普段はブラチスラバ周辺の野山を駆けまわっているだけの週末トレイル・ランナーです。固い舗装道路を10キロ以上走ることは滅多にありません。後半には左足を痛めてしまい、それでも気力でなんとか頑張って、1時間8分12秒でゴールにたどり着きました。
7500人の皆さんとは一緒に走っただけで、特に親しく言葉を交わし合ったわけでもないのですが、この苦しくても楽しく、そして健康的なマラソンを一緒に体験したことで、スロバキアの人々への親近感が更に高まったような気がしました。
4月10日付のスロバキアの地元紙の特集によると、スロバキア人で「通常運動をしていない人」の比率は47.7%ということで、EU各国平均の48.8%をかすかに下回ります。この統計によれば、EU各国内で運動をしない人が一番多いのはルーマニアで(84.4%)、次に多いのがブルガリア、更にギリシャ、イタリアと続きます。逆に「通常運動をしていない人」が一番少ない国はデンマーク(18.7%)、次に少ないのがフィンランド、更にスウェーデン、オーストリア、ノルウェーと続くとのことです。
気候が比較的温暖で過ごしやすい中東欧や南欧諸国の人々が運動をあまりしなくて、気候が厳しく雪も多い北欧の人々の方が運動をするという傾向は、どういう理由でしょうか。スロバキアはじめ中東欧・南欧諸国ではワインやビールがおいしいので、運動に行くよりも、ついついビアホールやワインバーの方に足が向いてしまう人が多いということでしょうか。その理由はわかりません。
デヴィーン~ブラチスラバ・マラソン大会は今回70周年を迎えるという歴史の長さもあってか、大会のマネージメントがしっかりしていました。ドナウ川沿いを走るコースの気持ちよさ、旧市街でゴールした後の様々なイベントやパーフォーマンスなど、楽しさも満載でした。来年も出てみたいと思います。
私にとってただ一つの不満足は、5574番というゼッケン・ナンバーでした。日本人には縁起を担ぐ人が多いです。自分もその一人で、大会出場の申し込み受付が始まってから、なるべく若い番号をもらいたいと思い、いの一番にインターネットで申し込みをしました。007という番号がもらえるとまでは期待していませんでしたが、せめて1000番以下の覚えやすい数字をいただけないかと期待していたのですが・・・。
文責 日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)
スロバキアに赴任して一年、私も「番号の男」になりました。ただしこちらは「走りのライセンス」です。スロバキアの首都ブラチスラバで行われる「デヴィーン~ブラチスラバ・マラソン」の第70回大会に参加するためにゼッケン・ナンバーをもらったのです。
マラソンのスタート地点となるデヴィーン城は、チェコ領から南下してくるモラバ川の水が、オーストリア領から東に向かって流れてくるドナウ川と合流する地点にあります。国境沿いの河岸の高台にそびえ立つ城の頂上からは、オーストリア、チェコ、そしてスロバキアの広大な森々を遙か遠くまで見渡すことができます。
このデヴィーン城からドナウ川沿いに、ブラチスラバ旧市街のゴールまで約11キロメートルを走るのがこのマラソン大会です。第二次大戦直後に行われた1947年の第一回大会の出場者はわずか24人だったそうですが、その後、チェコスロバキアの共産主義化、ビロード民主革命、そして、スロバキアの分離と独立等々の歴史の幾星霜を経て、今回の70回大会には7500人近くが参加するという、メジャーな大会となりました。
大会当日の4月9日(日曜日)は素晴らしい快晴、マラソン日和に恵まれました。早朝にスタート地点のデヴィーン城の麓に行くと、広場には既に多くの老若男女が集まりだしています。横にはドナウ川が滔々と流れ、上を見渡せば、朝日にきらきらとデヴィーン城が光っています。日本と比べスロバキアは湿気が少ないからかでしょうか、空気の透明感が違い、すべての景色がよりクリアで明るく見えるような気がします。
朝10時、城の古い大砲から号砲一発がズドンと鳴って、7000人以上が一斉に走り出しました。
今「一斉に走り出しました」と書いたのですが、実際にはこれだけ多くの人数が一斉に走り始めるのは無理ですし、危険でもあります。スタート地点の一番先頭にいるエリート招待選手達は矢のように飛び出していきましたが、大多数の一般の参加者達、特に私のように集団の真ん中から後ろ方にいる選手の多くはすし詰め状態で、最初からはとても走り出せません。周りの人にぶつからないようにそろそろと歩き出し、やがて公道に出て集団がばらけ出してから、やっと本格的に走り出せた、というのが実情でした。
マラソンコースはデヴィーン地区とブラチスラバ市旧市街を結ぶドナウ川沿いの往復二車線の国道で、すべて舗装道路です。大会の期間中は車両を一切入れずにランナー専用となっています。スタートしたデヴィーン地区は、ブラチスラバ市に住むスロバキア人の多くが引退したら住みたがる、緑豊かで美しい静かな村ですが、そこからコースに従い、右側にドナウ川の流れを見ながらブラチスラバ市旧市街に向かって何千人ものランナーがかけていきます。
沿道には多くのスロバキア人が出ていて声援してくれます。「ポチ!ポチ!」というかけ声も多いです。「ポチ」というのは日本語では代表的な犬の名前なので、最初はちょっと戸惑いました。スロバキア語では「come」の意味だそうです。納得しました。
11キロのコースは、入賞クラスの最速ランナーだと35分程度でゴールまで走りきってしまいます。約42キロのフルマラソンに比べ相当速いペースで皆さん走ることになります。しかし、私は中年ランナーで、しかも普段はブラチスラバ周辺の野山を駆けまわっているだけの週末トレイル・ランナーです。固い舗装道路を10キロ以上走ることは滅多にありません。後半には左足を痛めてしまい、それでも気力でなんとか頑張って、1時間8分12秒でゴールにたどり着きました。
7500人の皆さんとは一緒に走っただけで、特に親しく言葉を交わし合ったわけでもないのですが、この苦しくても楽しく、そして健康的なマラソンを一緒に体験したことで、スロバキアの人々への親近感が更に高まったような気がしました。
4月10日付のスロバキアの地元紙の特集によると、スロバキア人で「通常運動をしていない人」の比率は47.7%ということで、EU各国平均の48.8%をかすかに下回ります。この統計によれば、EU各国内で運動をしない人が一番多いのはルーマニアで(84.4%)、次に多いのがブルガリア、更にギリシャ、イタリアと続きます。逆に「通常運動をしていない人」が一番少ない国はデンマーク(18.7%)、次に少ないのがフィンランド、更にスウェーデン、オーストリア、ノルウェーと続くとのことです。
気候が比較的温暖で過ごしやすい中東欧や南欧諸国の人々が運動をあまりしなくて、気候が厳しく雪も多い北欧の人々の方が運動をするという傾向は、どういう理由でしょうか。スロバキアはじめ中東欧・南欧諸国ではワインやビールがおいしいので、運動に行くよりも、ついついビアホールやワインバーの方に足が向いてしまう人が多いということでしょうか。その理由はわかりません。
デヴィーン~ブラチスラバ・マラソン大会は今回70周年を迎えるという歴史の長さもあってか、大会のマネージメントがしっかりしていました。ドナウ川沿いを走るコースの気持ちよさ、旧市街でゴールした後の様々なイベントやパーフォーマンスなど、楽しさも満載でした。来年も出てみたいと思います。
私にとってただ一つの不満足は、5574番というゼッケン・ナンバーでした。日本人には縁起を担ぐ人が多いです。自分もその一人で、大会出場の申し込み受付が始まってから、なるべく若い番号をもらいたいと思い、いの一番にインターネットで申し込みをしました。007という番号がもらえるとまでは期待していませんでしたが、せめて1000番以下の覚えやすい数字をいただけないかと期待していたのですが・・・。
文責 日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)