第十九話 「日本食先進国」のスロバキア

平成29年7月21日
      私は30年近い外交官生活の中で、様々な国に勤務してきました。時代を経るにつれ、日本食が世界の人々の口に上るようになり、各国、各地で数多くの日本レストランが出来るようになっていることを、喜びを持って受け止めています。
 
     今から約20年前、初めて米国に勤務した際には、自分が住んでいたニューヨークのような大都市はともかく、地方には日本レストランが殆どありませんでした。多くのアメリカ人にとって、日本食はエスニックで珍しい料理でした。当時、米国防長官が新しく任命した陸軍の某将軍を日本レストランに招待して寿司をご馳走しようとしたところ、その将軍が「長官殿。失礼ですがこれは魚釣りに使う餌でしょうか?」と言って食べなかった、という実話を聞いたこともあります。
     それが、今から10年程前に再度米国勤務となった際には、事情が一変していました。勤務地のワシントンDCでは、どこのスーパーマーケットに行っても寿司コーナーができていました。当時、とある週末にスーパーに買い物に行ったところ、アメリカ人の小学生位の子供が、寿司コーナーの前でお母さんに大声で駄々を捏ねているのを見かけました。「ママー、ママー、枝豆食べたい!枝豆食べたいよー!」、と。お母さんは「駄目でしょ。先週も食べたばっかりじゃない。毎週枝豆ばっかりで。他のものも食べなきゃ駄目よ!」となだめるのに懸命でした。この親子の会話(もちろん英語でしたが)は今でも耳に焼き付いています。この子は大人になって自分でお金を稼げるようになったら、毎日枝豆食べて、日本レストランに入り浸りになるんだろうなー、と感慨深く思った次第です。
 
     スロバキアを含め、世界各地にできている日本レストランの料理やスーパーなどで売っている日本食は、日本で日本人が食べている日本食とは、中身や味、質、量などが若干違います。海外では外国人が日本レストランを経営し、調理も外国人が行っていることが多いので、味などが変わってくるのは当然でしょう。また、現地の人の舌や好みに合わせて、味付けや調理法を変えるのも普通でしょう。材料の制約もあるでしょう。
     例えば寿司について言えば、日本で「お寿司」、と言う場合、大体「握り寿司」が中心です。他方、外国では「巻き寿司」の方が握り寿司よりも認知度が高いような気がします。最近ではカリフォルニア・ロールはじめ、日本がオリジンではない巻き寿司も数多く見られます。
     日本に比べ、海外の日本料理店では肉料理の比率が高いのも特徴です。例えば、甘辛い醤油ベースの「照り焼きソース」は米国発祥と聞いています。
     ちなみに、私が今まで世界各地で食べた中で一番珍しかった「究極の寿司」をご紹介しましょう。それはハワイ発祥の「スパムむすび」です。「スパム」というのは(ハムやソーセージの中身のような)塩味の挽肉を固めて缶に詰めた缶詰の一種です。開ければそのまま食べられますが、そもそもは米国の軍用食として開発されたものだそうです。これを厚さ1センチメートル弱にスライスしてフライパンで軽く焼き、握り寿司のように小さく丸めた飯の上に載せ、甘辛の照り焼きソースをかけます。そして、蒸し器か電子レンジで暖めた上で、ホカホカの状態でぱくっと食べます(写真参照)。スパムは日本やスロバキアでも最近買えるようになっています。関心のある方は試してみてください(但し味について責任は負いません)。
 
     このように、「日本以外で世界各国の人が作り、世界中の人が食べている日本食」は、「日本で日本人が作り、日本人が食べている日本食」と根っこは同じなのですが、どんどん世界に拡がり発展しているが故に、オリジナルの日本食とは異なる面も多く出てきています。今から何年か前に日本国内において、「日本食が外国で外国人によりどんどんアレンジ、変形されていくのは好ましくない。正統な日本料理を世界に広めるために、海外における日本レストランの認証制度のようなものを作ってはどうか。」という意見が一部の官庁から出されました。しかし結果としてそのアイディアは陽の目を見ませんでした。
     私は今のままでいいと思うのです。ピザは元々イタリア料理でしたが、今は世界中で食べられるようになっています。ハンバーガーは元々ドイツのハンブルグ地方を起源とする挽肉のステーキ、ハンバーグが進化してパンに挟んで食べる現在の形になったと聞いています。今、日本で、あるいはスロバキアで、ピザやハンバーガーを食べるときに、皆さんは一々「これはイタリア料理だなあ」とか「ドイツ料理だなあ」と思いながら食べているでしょうか?
     日本料理は海外にどんどん広がっています。世界の人々に好かれるようになっています。そしてそのプロセスにおいて、どんどん変化、あるいは進化しています。我々日本人として、オリジナルの、オーセンティックな日本料理の型と味、技術は守らなければなりませんが、それはそれとしてインターナショナルになった、あるいはなりつつある日本食がどんどん多様化していくことは、結構なことではないかと思う次第です。私はこれを「日本料理のハンバーガー化」と呼んでいます。寿司がハンバーガーのように世界中で当たり前に食べられるようになる時代まで、あと一歩のような気がしますがどうでしょうか。
 
     以上、スロバキアと直接関係のない前振りが長くなってしまいました。私が昨年4月にブラチスラバに着任した当時びっくりしたことは、市内に沢山の日本料理店(もしくは日本の料理を出す店)があることでした。網羅的に数えてみたことはありませんが、人口50万人のこの町に、20件近くの日本レストランがあるのではないかと思います。スロバキア東部の町コシツェ等、地方都市にも日本レストランは散見されるようになっています。
     着任前に東京でスロバキア赴任の準備をしている際に、多くの知り合いから「スロバキアは内陸国で海がない。スロバキア人は肉食で魚は食べない。」と聞かされました。家内や公邸料理人とともに「いったい魚無しで、日本大使公邸でスロバキアの人々にどのような日本食をお出ししたら良いのだろうか。」と頭を抱えていました。しかし、これは嬉しい誤解でした。
     ブラチスラバの日本料理店の殆どは経営者、料理人がスロバキア人か日本人以外の外国人で、先ほどの「日本以外の世界の人々が作り、世界中の人々が食べている日本食」を出している店にあたります。何件かのお店で巻寿司や照り焼きステーキなど試食してみましたが、美味しい味で、ニューヨークやロンドンの日本料理店と肩を並べる高いレベルの日本食を出されていることに感銘しました。
 
     ところが昨年の夏あたりから、ブラチスラバ市内に、日本人が経営し、日本人シェフが作る日本料理店が出来はじめました。「日本で日本人が作り、日本人が食べている日本食」、を出す日本料理店がスロバキアにも進出してきたのです。
     第一号は、昨年夏、スロバキア市内で地物の農産品や食料品を売る「フレッシュ・マーケット」(住所:ロジュナフスカ通り)という公設食品市場の二階のフードコートにオープンした、日本のラーメン屋さんでした。ラーメンはいわゆるヌードル・スープで、米国東海岸や西海岸では最近ブレイクして、多くのラーメン屋が出来るようになっていますが、多くのスロバキア人にとってはまだ未知数の食べ物です。寿司でも天ぷらでも照り焼きステーキでもない日本食が受け入れられるか、当初は若干心配しました。しかしスロバキア人はスープが大好きな民族です。心配は杞憂に終わり、同店は毎日スロバキア人のお客さんでにぎわっています。
     次に本年4月に、ブラチスラバ市内のベンチュルスカ通りに、日本の西部、関西地方の料理を出すお店がオープンしました。寿司や天ぷらはないのですが、お好み焼き(日本のピザ、あるいはクレープとも言える。)や焼きうどん、鶏の唐揚げやカツ丼等、肉系の料理が充実しています。肉好きのスロバキア人に好評で昼も夜も繁盛しているようですが、特にお昼の日替わりランチ(定食)が好評です。
     更に6月には、市内のミツキエヴィチョバ通りに、日本の居酒屋が開店しました。居酒屋というのはスペイン風にいえば「バル」とでも言えるのでしょうか。食事もでき、ビールやワイン、日本酒等アルコールも飲めるお店です。一番の売り物は日本人のシェフが握る本格的な寿司ですが、更に日本の餃子(スロバキア人にとっては日本風ピロヒー、といえばわかりやすいでしょうか)も好評です。現在はディナーのみの開店ですが、予約を前もって入れておかないと中々入れない状況だそうです。
     そして7月に入り、同じく市内のパンスカー通りに新しい日本のラーメン屋さんがオープンしました。
     先日、フィンランドの首都ヘルシンキから日本企業の関係者の方が当地を来訪され、日本大使館で色々意見交換しました。その際、ブラチスラバには二件のラーメン屋がある旨お話したところ、びっくりした様子でした。ヘルシンキにはまだラーメン屋がないそうで、今度出張でブラチスラバに来る際はラーメンを食べることを前提に日程を組んでくる、とおっしゃっていました。チェコのプラハにもラーメン専門店はないと聞いています。
 
     パリやロンドンには日本料理店の数では及ばないものの、中東欧諸国の中で、スロバキア、特にブラチスラバは、「日本食先進国」と言えるのではないでしょうか。
 
     というわけで、皆さんスロバキアでは日本食を是非とも食べてみてください。スロバキア人シェフが作る「世界に広がるグローバルな日本食」を食べるもよし、日本人料理人が作る「オーセンティックな日本食」を食べるもよし。寿司、照り焼きステーキから、お好み焼き、焼きうどん、餃子、そしてラーメンなど、様々な日本食が皆さんをお待ちしています。
 
     日本食は日本のソフト・パワーです。

     文責 日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)