第二十七話 スロバキア人に人気の日本食と、その「落とし穴」

平成30年5月22日
     今、スロバキアでは日本食が静かなブームになりつつあります。
     特に、首都ブラチスラバでは、日本レストランの数がどんどん増えています。ここ2年間程の間には、日本人が経営し日本人がシェフの店も何件かオープンしました。居酒屋を兼ねた寿司屋や、ラーメン店、関西料理のお店などです。
     中華料理店やベトナム・レストラン、韓国料理店などアジア系レストランでも、お寿司をメニューに出す店が増えています。一部のスーパーマーケットでは持ち帰り用の寿司も売り出すようになりました。
 
     先日、フィンランドの首都ヘルシンキから出張で当地に来られた日本人ビジネスマンの方と、お話する機会がありました。ヘルシンキにはラーメン専門店がないとのことで、ブラチスラバに日本のラーメン専門店が数件あると聞いて、びっくりしておられました。
     ブラチスラバの人口は50万人弱と、一国の首都としてはかなり小振りです。このコンパクトな町に十数件もの日本料理店があるのは、確かにちょっとした驚きです。
     スロバキアは「人口一人あたりの自動車の生産台数が世界一」、「人口一人あたりのお城の数が世界一」だそうです。もし、「首都における人口一人あたりの日本料理店の数」という統計を取るとしたら、ブラチスラバは中東欧諸国内の首都の中でナンバー1か、そうではなくともベスト3内の地位に入るのではないでしょうか。
 
     ところで、私は平均して週に2~3回、スロバキア人を中心に外国人のお客様を日本大使公邸にお招きして食事を差し上げています。これは堅苦しく言えば、日本大使館の主要な業務の一部として、スロバキアにおける人脈の形成、情報の収集、日本の政策の広報、などを目的として行っているものです。しかしもう少し柔らかく言えば、スロバキアの要人の方々に対し、日本食を通じて日本の文化を知ってもらい、日本という国、更には日本の社会や日本人に対して関心や共感を持っていただく、という意味も持っていると考えています。
 
     お招きするお客様の殆どは、日本料理を食べることを期待して日本大使公邸に来られます。スロバキアは北のポーランド、北西のチェコ、西のオーストリア、南のハンガリー、そして東のウクライナに囲まれた海のない国ですが、スロバキア人の多くが、海魚、特に新鮮な生魚を使った寿司や刺身を好むことは、現地に来る前は予想もしていなかった「嬉しい誤解」でした。
     会食にあたっては、公邸料理人(日本人)とも相談の上、寿司や天ぷら、茶碗蒸しなど、代表的な日本食を中心にコースを組み立てて出すのが通常です。時には魚は駄目、というお客様も居るので、焼き鳥やしゃぶしゃぶ、醤油ベースの照り焼きステーキなど、日本風の肉料理を中心に組み立てることもあります。
     先日は、魚も肉も一切駄目、というベジタリアンのスロバキア人夫妻を夕食にお呼びすることがありました。この際には、日本の禅寺の料理も参考にして、野菜や豆腐、海藻などをふんだんに使った精進料理をお出ししました。
 
     約2年間の間におそらく、200回以上お客様を公邸にお呼びしてきたでしょうか。お出しした日本料理に対し、お客様から(お世辞もあるのでしょうが)大変美味しいとお褒めの言葉をいただくことも数多くありました。
 
     最近のある日、私は日本大使公邸でスロバキア人のお客様と日本食を食べていて、当たり前のようで重大なことにはっと気がつきました。それは、
「日本料理はお箸を使って食べるように作られている」
「(お箸なしで)ナイフやフォークで日本料理を食べることは、至難の業である」
     ということです。
 
     私はスロバキアに駐箚しているヨーロッパ諸国の大使の公邸に招待されることが良くあります。そこで出てくる料理は大体が、サラダなどの前菜、メインの肉(または魚)料理、デザート、の三品だけです。皿数が少ないだけに一皿の量は多く、そのボリュームのあるサラダや肉の塊をナイフで切り、フォークで突き刺して食べます。それが欧米料理の食べ方です。
 
     今、私の目の前におられるお客様は、箸を使わず(使えず)に、お出ししている日本料理をナイフとフォークで召し上がっています。私は経験のためにと、わざと真似をして、箸なしで一緒に各皿を食べてみることにしました。そこで、日本料理がいかにナイフとフォークで「食べにくい料理」であるかを実感したのです。
     例えばにぎり寿司ですが、ナイフで切ろうとすると寿司飯が潰れて崩れてしまいますし、フォークで突き刺すと醤油につける前にバラバラと壊れてしまいます(フォークを突き刺しても崩れない程に寿司飯を固く握ると、今度は寿司が美味しくなくなってしまいます)。指を拭くためのおしぼりをお出しした上で、「日本の寿司屋では客が指でつまんでお寿司を食べることが良くあります」と申し上げるのですが、心理的に抵抗があるのか、実際につまんで召し上がるお客様は殆どいません。
     天ぷらはなんとかフォークで突き刺せますが、それを天つゆにつけて、落ちないように口まで持って行くのには結構苦労します。
     お蕎麦や饂飩、冷や麦などの麺類は、(イタリアのパスタ等と違って)汁(ソース)に粘度がないため、フォークで巻き取ろうとしてもどうしても絡みません。口を椀のところまで持って行き、麵をフォークでたぐり寄せるようにして食べるしかありませんでした。
    (ちなみにラーメンも同じで、私はラーメン好きのスロバキア人を何度かラーメン屋に連れて行く機会がありましたが、ラーメン・スープの中に入っている麵をフォークでは十分すくえません。彼らはまずスプーンで汁を殆ど飲んでしまい、麵だけになるとそれをフォークでたぐり寄せながら食べていました)。
     箸なしで味噌汁、おすましなど、汁物系を食べるのも悪戦苦闘します。日本と異なり、欧米では食器を手で持ち上げて口の側まで持って行くという習慣がありません(そのようなことはマナー上好ましくないとされています)。公邸ではお客様にスプーンを出して使ってもらいますが、欧州風の平らなスープ皿と異なり、日本の「お椀」は小さくて底が深いことから、テーブルの上に置いたお椀にスプーンを突っ込み、最後まで具と汁をさらうのは相当な努力が必要になります。
 
     要するに、欧米のナイフとフォークの食は「切って突き刺す」文化であり、日本の(そしてお箸を使うアジア諸国の)食は「つまむ」文化である、ということです。そして、日本料理は、箸でつまんで食べるように長年デザインされてきており、「切って突き刺し」て食べるには、非常に食べにくいものが多いのです。
 
     このことを忘れて、我々日本人が独りよがりで「本格的」日本料理を外国人に出していると、お客様は料理を皿(やお椀)から口まで持って行くことに多大の労力と精神エネルギー?を使うことを余儀なくされて、食事を楽しみ、一品一品を味わうどころではなくなってしまう怖れが高いのではないか、というのが私のとりあえずの結論です。
 
     スロバキア人の中には箸を器用に使う人もいますが、まだ少数派です。
     外国人が慣れない箸を使うための補助器具のようなものも開発されているようですが、まだ普及していません(米国では、フォークと箸(chopsticks)を合体させたような「Chork」という発明品があるそうですが、私はまだ実物を見たことがありません)。
     「日本料理を食べるのであれば、その前にまず箸の使い方を習得してください。」というのは、日本人の「おもてなしの心」から大きく外れているような気がします。
 
     日本食は今世界的ブームとなっているそうですが、味や見かけばかりが重視されて、この「食べやすさ」(あるいは食べにくさ)については殆ど工夫や努力がなされていないような気がします。
     「フォークやナイフでも食べやすい日本料理」というのも考える必要があるのではないでしょうか。今、公邸料理人と一緒に研究中ですが、まだ答えは出ていません。皆様のお知恵を借りられれば幸いです。
 
     文責 日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)