第三十一話 スロバキア人にとって「宝の持ち腐れ」~日本人にとっては「穴場」:スロバキアのUNESCO世界遺産
平成30年10月1日
この夏、首都ブラチスラバから車で2時間半程の距離にある、スロバキア中部の山間の町、「バンスカー・シュチアウニツァ」に日帰りで行ってきました(写真上)。ここはUNESCOの世界遺産に登録されています。
18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパの中部から東部にかけてのほとんどの地域はオーストリア・ハンガリー帝国の領土となっていました。同帝国内に位置するバンスカー・シュチアウニツァは、当時金や銀の採掘によって非常に栄え、その最盛期においては帝国内で三番目に大きな町であったということです(当時の町の人口は3万6千人)。金鉱や銀鉱から生み出される巨大な富を背景に、数多くの立派な教会、城、貴族の館、公共建築物、そして石畳の街並み等が作られました。第一次、二次世界大戦の災禍にもほとんど会わなかったことから、当時の古く立派な石造りの街並みが、ほぼ完ぺきに現在も残されています。
スロバキアには5つのUNESCO文化遺産,2つの自然遺産が登録されていますが、その多くは日本人にほとんど知られていません。日本の新聞にはよく「ヨーロッパUNESCO世界遺産を巡る1週間の旅!」といった団体旅行の宣伝が出ています。そこでは、西欧諸国は言うに及ばず、中東欧でもオーストリアやハンガリー、更にはチェコやスロベニア、クロアチアといった国のUNESCO遺産が紹介されていますが、スロバキアのUNESCO世界遺産が観光旅行の対象となることは殆どありません。
実際、私はバンスカー・シュチアウニツァはじめ、スロバキア国内の世界遺産を何か所も訪問しましたが、訪れている観光客はヨーロッパ人やアメリカ人ばかりで、日本人を含むアジア人は殆ど見たことがなかったことを記憶しています。
日本の旅行会社の人に色々「取材」してみると、日本人観光客がスロバキアのUNESCO世界遺産を訪れない(知らない)一番の理由は、そのほとんどがスロバキア東部に位置しているからだ、ということがわかりました。すなわち、日本人を含むアジア人のほとんどは、スロバキア旅行に来る場合、隣国オーストリアの首都ウィーンから車で1時間弱という地の利もあり、まず首都ブラチスラバにやってきます。そこで半日または一日を観光して過ごすわけですが、世界遺産が集中しているスロバキア東部地方は車で片道4時間以上と、日帰りで行くには遠すぎます。ウィーンやブラチスラバ、更には近隣の諸国からはスロバキア東部の主要都市コシツェに飛行機が何本か飛んでいますが、一々飛行機で行くのは手間がかかりますしコストもかかります。このことから、短い日数で沢山の国を観光してまわりたがる傾向の強いアジア人観光客は、そのままバスでウィーンに戻るか、あるいは隣国のハンガリーやチェコに移動してしまう、ということでした。結果として、素晴らしいスロバキアの世界遺産サイトのほとんどが、日本人などの観光客にほとんど知られることのないママに「穴場」(good but out of the way place)となっているわけです。
18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパの中部から東部にかけてのほとんどの地域はオーストリア・ハンガリー帝国の領土となっていました。同帝国内に位置するバンスカー・シュチアウニツァは、当時金や銀の採掘によって非常に栄え、その最盛期においては帝国内で三番目に大きな町であったということです(当時の町の人口は3万6千人)。金鉱や銀鉱から生み出される巨大な富を背景に、数多くの立派な教会、城、貴族の館、公共建築物、そして石畳の街並み等が作られました。第一次、二次世界大戦の災禍にもほとんど会わなかったことから、当時の古く立派な石造りの街並みが、ほぼ完ぺきに現在も残されています。
スロバキアには5つのUNESCO文化遺産,2つの自然遺産が登録されていますが、その多くは日本人にほとんど知られていません。日本の新聞にはよく「ヨーロッパUNESCO世界遺産を巡る1週間の旅!」といった団体旅行の宣伝が出ています。そこでは、西欧諸国は言うに及ばず、中東欧でもオーストリアやハンガリー、更にはチェコやスロベニア、クロアチアといった国のUNESCO遺産が紹介されていますが、スロバキアのUNESCO世界遺産が観光旅行の対象となることは殆どありません。
実際、私はバンスカー・シュチアウニツァはじめ、スロバキア国内の世界遺産を何か所も訪問しましたが、訪れている観光客はヨーロッパ人やアメリカ人ばかりで、日本人を含むアジア人は殆ど見たことがなかったことを記憶しています。
日本の旅行会社の人に色々「取材」してみると、日本人観光客がスロバキアのUNESCO世界遺産を訪れない(知らない)一番の理由は、そのほとんどがスロバキア東部に位置しているからだ、ということがわかりました。すなわち、日本人を含むアジア人のほとんどは、スロバキア旅行に来る場合、隣国オーストリアの首都ウィーンから車で1時間弱という地の利もあり、まず首都ブラチスラバにやってきます。そこで半日または一日を観光して過ごすわけですが、世界遺産が集中しているスロバキア東部地方は車で片道4時間以上と、日帰りで行くには遠すぎます。ウィーンやブラチスラバ、更には近隣の諸国からはスロバキア東部の主要都市コシツェに飛行機が何本か飛んでいますが、一々飛行機で行くのは手間がかかりますしコストもかかります。このことから、短い日数で沢山の国を観光してまわりたがる傾向の強いアジア人観光客は、そのままバスでウィーンに戻るか、あるいは隣国のハンガリーやチェコに移動してしまう、ということでした。結果として、素晴らしいスロバキアの世界遺産サイトのほとんどが、日本人などの観光客にほとんど知られることのないママに「穴場」(good but out of the way place)となっているわけです。
スロバキアにあるUNESCO世界遺産の中で最も有名なのは、おそらく東部にあるスピシュ城址でしょう(写真中)。同城は12世紀に建設され、現在ヨーロッパに残る城址の中で最も大きなものの一つと言われています。巨大な中世の城塞址とそれを取り囲む平野の雄大な風景が残されている同城では、1996年に公開された米国の映画「ドラゴンハート」シリーズをはじめ、多くの映画のロケも行われています。私も何回か訪れる機会がありました。大きな丘の上に聳え立つ石造りの城址の上からは、遠くに夏も白銀の雪を頂くタトラ山脈の山並み、更にはその向こうにはポーランド領まで見えました。その素晴らしい景色と雰囲気に、ヨーロッパの中世時代に戻ったような錯覚に陥りそうになりました。
私が仕事やプライベートでお付き合いしているスロバキア人の多くは勤勉で誠実です。シャイな性格もあるのか最初は少し不愛想な人もいますが、仲良くなるととことん親しくなれる、心の温かくて気取らず、陽気な人たちばかりです。創造力に富み、ビジネス感覚にも優れ、起業家スピリットも旺盛です。現にスロバキアの経済は、EU28か国の中でも最も高いレベルのスピードで発展しています。そのようなスロバキア人が、自国の美しい自国の自然や歴史を、どうしてもっと積極的に外国の人たちに宣伝し、更なる経済発展にもつなげようとしないのでしょうか。
日本の諺で、役に立つものや優れた才能を持っていながら、それを十分活用しなかったり、発揮せずにいることの例えを「宝の持ち腐れ」と言います。スロバキアはUNESCO世界遺産に代表される素晴らし自然と多くの文化、歴史遺産という「宝」を持っているのですから、それを観光という新しい産業のために、もっと活用しても良いのではないでしょうか。
以上、日本人の私がスロバキアの方々に「余計なおせっかい」を焼いてしまったのであれば、お許しください。
その上で、もう一つだけ「おせっかいを焼く」ことをお許しいただければ、ブラチスラバから遠くない、スロバキアの西部や中部にも、UNESCOの世界遺産に登録に値すると思われる、素晴らしい場所が沢山あります。
例えば首都ブラチスラバ自身の旧市街です。一時はオーストリア・ハンガリー帝国のマリア・テレジア女帝が城に住み、何代もの皇帝が戴冠式を行いました。城下の石造りの街並みがほぼそのまま残されており、更に旧市街内は車の出入りが原則オフリミットとなるなど、町並みの維持保存も極めて良好に行われています。隣国のオーストリアに叱られそうですが、都会化が進んでいるウィーンの旧市街ですら既にUNESCO世界遺産になっている程なのですから、ブラチスラバを遺産登録するのは難しくない、だと思うのですが、言いすぎでしょうか。
更に、ブラチスラバから東南に約100キロちょっとで、車で1時間半から2時間程度の距離、ハンガリーとの国境のドナウ川沿いにコマールノという町があります。
私が仕事やプライベートでお付き合いしているスロバキア人の多くは勤勉で誠実です。シャイな性格もあるのか最初は少し不愛想な人もいますが、仲良くなるととことん親しくなれる、心の温かくて気取らず、陽気な人たちばかりです。創造力に富み、ビジネス感覚にも優れ、起業家スピリットも旺盛です。現にスロバキアの経済は、EU28か国の中でも最も高いレベルのスピードで発展しています。そのようなスロバキア人が、自国の美しい自国の自然や歴史を、どうしてもっと積極的に外国の人たちに宣伝し、更なる経済発展にもつなげようとしないのでしょうか。
日本の諺で、役に立つものや優れた才能を持っていながら、それを十分活用しなかったり、発揮せずにいることの例えを「宝の持ち腐れ」と言います。スロバキアはUNESCO世界遺産に代表される素晴らし自然と多くの文化、歴史遺産という「宝」を持っているのですから、それを観光という新しい産業のために、もっと活用しても良いのではないでしょうか。
以上、日本人の私がスロバキアの方々に「余計なおせっかい」を焼いてしまったのであれば、お許しください。
その上で、もう一つだけ「おせっかいを焼く」ことをお許しいただければ、ブラチスラバから遠くない、スロバキアの西部や中部にも、UNESCOの世界遺産に登録に値すると思われる、素晴らしい場所が沢山あります。
例えば首都ブラチスラバ自身の旧市街です。一時はオーストリア・ハンガリー帝国のマリア・テレジア女帝が城に住み、何代もの皇帝が戴冠式を行いました。城下の石造りの街並みがほぼそのまま残されており、更に旧市街内は車の出入りが原則オフリミットとなるなど、町並みの維持保存も極めて良好に行われています。隣国のオーストリアに叱られそうですが、都会化が進んでいるウィーンの旧市街ですら既にUNESCO世界遺産になっている程なのですから、ブラチスラバを遺産登録するのは難しくない、だと思うのですが、言いすぎでしょうか。
更に、ブラチスラバから東南に約100キロちょっとで、車で1時間半から2時間程度の距離、ハンガリーとの国境のドナウ川沿いにコマールノという町があります。
ここでスロバキアの歴史を少しひも解くと、11世紀から16世紀にかけて、現在のハンガリー及び、スロバキア、クロアチア、ルーマニアの多くが、ハンガリー帝国の領土下にありました。16世紀初めにトルコ系のオスマン帝国の侵入を受けると、ハンガリー帝国は王ラヨシュ2世が戦死する大敗を期し、ブダペストを含む領土の大半を征服されるとともに、首都がブラチスラバに移りました。断絶したハンガリー王家に代わり、姻戚関係にあったオーストリア大公のハプスブルグ家が王位を継承することになりました(ハプスルブル・ハンガリー帝国)。それほどオスマン帝国の侵攻というのはすさまじかったわけですが、このコマールノに残るハンガリー帝国時代の要塞は、当時20万人以上を収容できる同帝国最大の軍城であったとともに、オスマン帝国の猛攻にも落ちなかった、数少ない城として歴史的に知られています(写真下)。
私は最近、コマールノ出身のスロバキアの政治家と話す機会がありました。同市においては、この歴史的に重要な城をUNESCO世界遺産に申請しようとする動きがかつてあったそうです。しかしながら、同城の遺跡が、ドナウ川をはさんでスロバキア側(コマールノ市)とハンガリー側(コマーロム市)の両国にまたがっていることや、その他さまざまな事情があって話がまとまらず、申請の話は宙に浮いたままになっている、とのことでした。個人的にはその話を聞いて残念に思いました。
スロバキアがこれらの「宝」をどう生かすかは、もちろんスロバキアの人たちが自ら決めることです。しかし日本人にとっては、まだまだ知られていない貴重な世界「穴場」遺産でもあります。
これらの遺産、遺跡を、これからも、少しでもご紹介していきたいと思っています。
文責:日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)
私は最近、コマールノ出身のスロバキアの政治家と話す機会がありました。同市においては、この歴史的に重要な城をUNESCO世界遺産に申請しようとする動きがかつてあったそうです。しかしながら、同城の遺跡が、ドナウ川をはさんでスロバキア側(コマールノ市)とハンガリー側(コマーロム市)の両国にまたがっていることや、その他さまざまな事情があって話がまとまらず、申請の話は宙に浮いたままになっている、とのことでした。個人的にはその話を聞いて残念に思いました。
スロバキアがこれらの「宝」をどう生かすかは、もちろんスロバキアの人たちが自ら決めることです。しかし日本人にとっては、まだまだ知られていない貴重な世界「穴場」遺産でもあります。
これらの遺産、遺跡を、これからも、少しでもご紹介していきたいと思っています。
文責:日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)