第三十二話 スロバキア人のホスピタリティと日本人の「おもてなし」
平成30年12月11日
ブラチスラバの旧市街にある日本大使館のすぐ裏に、私の行きつけの喫茶店があります。平日のお昼に仕事の会食や会合がなにも入っていない時には、一人でそこに行って、英字新聞やスロバキアの新聞の英訳を読みながら軽い昼食をとるのが習慣になっています。平均して週1回程度の頻度でしょうか。
そこは大きな店で十人近くのスタッフが働いています。古株もいますがアルバイトが多いようで、しょっちゅう顔ぶれが変わります。私はもう3年近く通いつづけているのですが、数か月毎に、次から次へと新しいウェイターやウェイトレスさんが来て、私に接客してくれるわけです。
その彼らの反応が押しなべて面白いのです。
まず彼らが新人として、初めて私の注文を取りに来るときは、その対応は極めて堅苦しく不愛想です。笑顔もなく、機械的に注文を取って、食事を出して、会計をして、終わりです。無理もないでしょう。喫茶店のお客の99%はスロバキア人です。そこにアジア人のおじさんの私がきて席にどっかと座り、偉そうに新聞を読んでいるのです。スロバキア語も片言でよく通じません。警戒心を持って当然です。
それが、三回目か四回目位から、彼らの対応がガラッと変わるのです。私が「常連」だという話を他のスタッフから聞くからでしょうか。あるいは私の顔や頼み方に慣れるからでしょうか。突然彼らはにこやかになり、まるで友達のように親しく私に接してくれるようになるのです。
私の注文は、いつも日替わりスープにサラダ料理を一品、そしてカフェイン抜きのカフェラテ・マキアートと大体決まっています。スタッフが私に「馴染む」と、私が喫茶店に入り席に座った瞬間に、(まだ頼んでもいないのに)スープとカフェラ・マキアートが、にこやかにテーブルに運ばれてくるようになります(写真)。彼らの心づくしのサービスに、嬉しく、ちょっと誇らしくなってしまいます。
一人一人の人間の性格をもし「家」に例えるとしたら、どうでしょうか。スロバキア人という「家」の玄関の扉は普段閉まっていて、簡単には開きません。しかしいったん扉があくと、応接間だけでなく、居間や台所、時にはトイレまで踏み込んで見せてくれるような、人間味の暖かさがあるような気がします。
スロバキアの人々はよく、「自分達にはホスピタリティがない」と自嘲します。しかし以上述べたように、それは少なくとも半分は真実ではないように思います。
日本人の多くも、外国人に対しては内気(シャイ)な面があります。しかし一旦人間同士の関わりができると、「おもてなし」の精神が発露されて、徹底的に親切にお世話しようという気持ちが出てくるのです。
すべてのスロバキア人、日本人が善人なわけではなく、良い人もいれば悪い人もいます。そもそも人間は十人十色で、二人として同じ人間はいません。スロバキア人、日本人と一括りに性格を論じようとすること自身、乱暴なことなのかもしれません。
それでも、スロバキア人と日本人は、住む場所は遠く離れているものの、いくつかの類似点・共通点があるような気がします。両国をつなぐ一端を担っている者として、嬉しく思う次第です。
文責:日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)
そこは大きな店で十人近くのスタッフが働いています。古株もいますがアルバイトが多いようで、しょっちゅう顔ぶれが変わります。私はもう3年近く通いつづけているのですが、数か月毎に、次から次へと新しいウェイターやウェイトレスさんが来て、私に接客してくれるわけです。
その彼らの反応が押しなべて面白いのです。
まず彼らが新人として、初めて私の注文を取りに来るときは、その対応は極めて堅苦しく不愛想です。笑顔もなく、機械的に注文を取って、食事を出して、会計をして、終わりです。無理もないでしょう。喫茶店のお客の99%はスロバキア人です。そこにアジア人のおじさんの私がきて席にどっかと座り、偉そうに新聞を読んでいるのです。スロバキア語も片言でよく通じません。警戒心を持って当然です。
それが、三回目か四回目位から、彼らの対応がガラッと変わるのです。私が「常連」だという話を他のスタッフから聞くからでしょうか。あるいは私の顔や頼み方に慣れるからでしょうか。突然彼らはにこやかになり、まるで友達のように親しく私に接してくれるようになるのです。
私の注文は、いつも日替わりスープにサラダ料理を一品、そしてカフェイン抜きのカフェラテ・マキアートと大体決まっています。スタッフが私に「馴染む」と、私が喫茶店に入り席に座った瞬間に、(まだ頼んでもいないのに)スープとカフェラ・マキアートが、にこやかにテーブルに運ばれてくるようになります(写真)。彼らの心づくしのサービスに、嬉しく、ちょっと誇らしくなってしまいます。
一人一人の人間の性格をもし「家」に例えるとしたら、どうでしょうか。スロバキア人という「家」の玄関の扉は普段閉まっていて、簡単には開きません。しかしいったん扉があくと、応接間だけでなく、居間や台所、時にはトイレまで踏み込んで見せてくれるような、人間味の暖かさがあるような気がします。
スロバキアの人々はよく、「自分達にはホスピタリティがない」と自嘲します。しかし以上述べたように、それは少なくとも半分は真実ではないように思います。
日本人の多くも、外国人に対しては内気(シャイ)な面があります。しかし一旦人間同士の関わりができると、「おもてなし」の精神が発露されて、徹底的に親切にお世話しようという気持ちが出てくるのです。
すべてのスロバキア人、日本人が善人なわけではなく、良い人もいれば悪い人もいます。そもそも人間は十人十色で、二人として同じ人間はいません。スロバキア人、日本人と一括りに性格を論じようとすること自身、乱暴なことなのかもしれません。
それでも、スロバキア人と日本人は、住む場所は遠く離れているものの、いくつかの類似点・共通点があるような気がします。両国をつなぐ一端を担っている者として、嬉しく思う次第です。
文責:日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)