第三十三話 故郷は遠くにありて思ふもの - 子を思う親の気持ちは世界共通
平成31年3月20日
二年以上にわたり私にスロバキア語の個人教授を授けてくれていたスロバキア人のJ先生が、縁あって日本人の男性と結婚され、昨年夏にブラチスラバから東京に嫁いで行かれました。
本年3月、私は会議出席のため日本に出張することとなりました。J先生のご両親を存じ上げていたので、気軽な気持ちで、「もしなにか、東京の娘さんに届けたいものがあったら、ついでに持って行きますよ」と声をかけました。
東京出発の一週間前、ご両親が大きな袋を二つ持ってこられました。娘さんへのお土産です。差し支えない範囲で中を見せていただいたところ、お母さんの手作りとおぼしきクッキー、ホラルキー(ウェハースでピーナッツバターを挟んだ、スロバキア人にとり最も有名なお菓子)、日本では手に入らないスロバキアの調味料や食材、更には衣料等がぎっしりと入っています。
日本に到着後、J先生とお会いしてご両親からのお土産を渡しました。J先生の大喜びされる顔を見て、今から30年以上前、私が南フランスに二年間留学していた際のことを思い出しました。
留学中は幸いなことに親切なフランス人一家に受け入れてもらい(ホームステイ)、毎日美味しいマダム手作りのフランス料理に舌鼓を打っていました。それでも時々、日本食が懐かしく思えることがありました。当時、私の留学していた町(モンペリエ)には日本レストランが一軒しかなく、そのレストランは高価で留学生の私には中々手がでませんでした。
そんな中、数ヶ月に一度、日本にいる母から郵便小包が私のところに届きました。当時の国際郵便は料金が高く、多くの物資は送れませんでした。小包の嵩と重さで料金が決まるので、母は和菓子や、蕎麦饂飩の乾麺、海苔、そして少量のお米などを、タオルの間にうまく詰め込んで、工夫に工夫を重ねて荷物を送ってきてくれました。とても嬉しかったのを覚えています。
私の当時の記憶と今回のJ先生の話を重ね合わせてみると、故国の親からの差し入れは、ソウルフードとも言える懐かしい自国の食べ物が多いことがよくわかります。どんなに日本やフランスの料理が美味しくとも、人はやはり、生まれ育った土地の、母親が作ってくれた、自らの舌に馴染んだ料理を食べたくなるものなのでしょう。
日本には300人近いスロバキア人が住んでいるといわれています。しかし、私の知っている限り、日本にスロバキア料理のレストランはなく、また、ブリンゾベー・ハルシュキー(ジャガイモと小麦でつくったダンプリングに羊乳チーズのソースをからめ、上からカリカリベーコンのみじん切りをかけたスロバキアの名物料理)を作るのに不可欠なブリンザ(スロバキア特産のチーズの一種)や、カプスニツァ(発酵キャベツやパブリカを入れた具だくさんのスープ)を作るのに必要なキスラー・カプスタ(ビタミンや栄養満点の発酵キャベツ)が日本で手に入るとは思えません。在日スロバキア人の皆さんは、故国の懐かしい料理を作るのに色々と知恵を絞っておられるのではないかと推測されます。
翻ってスロバキアには200人以上の日本人が在住されています。スロバキア人と結婚して住んでいる方々、ビジネスの関係で来られる方々、留学生など様々です。首都ブラチスラバには寿司屋やラーメン屋を含む日本レストランが数多くあり、一通りの日本食を食べることができます。しかし地方にいくと日本レストランは殆どなく、また、日本食材も手に入らないので、皆さんご苦労されているようです。
在スロバキア日本大使館では昨年より、大使館に在留届を出している在留邦人及びその家族の方を年初に大使公邸にお招きし、日本人同士で歓談、意見交換する賀詞交換会を始めました。本年は1月に開催し、約60人が出席されました。ブラチスラバのみならず、スロバキアの地方部から長時間かけてわざわざ参加いただいた邦人の方々もおり、ありがたく思った次第です。会では皆さんからスロバキア各地の現地情勢や暮らしの様子などを伺えて、大変勉強になりました。公邸料理人に作らせた焼き鳥やお寿司、天ぷら、隠元の胡麻和え、更には日本酒などを少々お出ししたのですが、皆さんに、懐かしい、美味しい、と大変喜んでいただいた次第です。
故郷は遠きにありて思ふもの
そして悲しく思ふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
(日本の詩人、室生犀星の詩集「じょう(手偏に予)情小曲集」より)
文責:日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)
本年3月、私は会議出席のため日本に出張することとなりました。J先生のご両親を存じ上げていたので、気軽な気持ちで、「もしなにか、東京の娘さんに届けたいものがあったら、ついでに持って行きますよ」と声をかけました。
東京出発の一週間前、ご両親が大きな袋を二つ持ってこられました。娘さんへのお土産です。差し支えない範囲で中を見せていただいたところ、お母さんの手作りとおぼしきクッキー、ホラルキー(ウェハースでピーナッツバターを挟んだ、スロバキア人にとり最も有名なお菓子)、日本では手に入らないスロバキアの調味料や食材、更には衣料等がぎっしりと入っています。
日本に到着後、J先生とお会いしてご両親からのお土産を渡しました。J先生の大喜びされる顔を見て、今から30年以上前、私が南フランスに二年間留学していた際のことを思い出しました。
留学中は幸いなことに親切なフランス人一家に受け入れてもらい(ホームステイ)、毎日美味しいマダム手作りのフランス料理に舌鼓を打っていました。それでも時々、日本食が懐かしく思えることがありました。当時、私の留学していた町(モンペリエ)には日本レストランが一軒しかなく、そのレストランは高価で留学生の私には中々手がでませんでした。
そんな中、数ヶ月に一度、日本にいる母から郵便小包が私のところに届きました。当時の国際郵便は料金が高く、多くの物資は送れませんでした。小包の嵩と重さで料金が決まるので、母は和菓子や、蕎麦饂飩の乾麺、海苔、そして少量のお米などを、タオルの間にうまく詰め込んで、工夫に工夫を重ねて荷物を送ってきてくれました。とても嬉しかったのを覚えています。
私の当時の記憶と今回のJ先生の話を重ね合わせてみると、故国の親からの差し入れは、ソウルフードとも言える懐かしい自国の食べ物が多いことがよくわかります。どんなに日本やフランスの料理が美味しくとも、人はやはり、生まれ育った土地の、母親が作ってくれた、自らの舌に馴染んだ料理を食べたくなるものなのでしょう。
日本には300人近いスロバキア人が住んでいるといわれています。しかし、私の知っている限り、日本にスロバキア料理のレストランはなく、また、ブリンゾベー・ハルシュキー(ジャガイモと小麦でつくったダンプリングに羊乳チーズのソースをからめ、上からカリカリベーコンのみじん切りをかけたスロバキアの名物料理)を作るのに不可欠なブリンザ(スロバキア特産のチーズの一種)や、カプスニツァ(発酵キャベツやパブリカを入れた具だくさんのスープ)を作るのに必要なキスラー・カプスタ(ビタミンや栄養満点の発酵キャベツ)が日本で手に入るとは思えません。在日スロバキア人の皆さんは、故国の懐かしい料理を作るのに色々と知恵を絞っておられるのではないかと推測されます。
翻ってスロバキアには200人以上の日本人が在住されています。スロバキア人と結婚して住んでいる方々、ビジネスの関係で来られる方々、留学生など様々です。首都ブラチスラバには寿司屋やラーメン屋を含む日本レストランが数多くあり、一通りの日本食を食べることができます。しかし地方にいくと日本レストランは殆どなく、また、日本食材も手に入らないので、皆さんご苦労されているようです。
在スロバキア日本大使館では昨年より、大使館に在留届を出している在留邦人及びその家族の方を年初に大使公邸にお招きし、日本人同士で歓談、意見交換する賀詞交換会を始めました。本年は1月に開催し、約60人が出席されました。ブラチスラバのみならず、スロバキアの地方部から長時間かけてわざわざ参加いただいた邦人の方々もおり、ありがたく思った次第です。会では皆さんからスロバキア各地の現地情勢や暮らしの様子などを伺えて、大変勉強になりました。公邸料理人に作らせた焼き鳥やお寿司、天ぷら、隠元の胡麻和え、更には日本酒などを少々お出ししたのですが、皆さんに、懐かしい、美味しい、と大変喜んでいただいた次第です。
故郷は遠きにありて思ふもの
そして悲しく思ふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
(日本の詩人、室生犀星の詩集「じょう(手偏に予)情小曲集」より)
文責:日本大使 新美 潤(しんみ じゅん)