中川大使の活動

2021/10/12

2021年10月11日(月) 新オランダ大使の訪問
 
   9月に新オランダ大使として着任したサンチシィ大使が、日本大使館を訪問されました。これまでの外交行事などで、すでにお互いに知り合っていますが、それぞれの大使館を訪問することは、また別の意味を持ちます。
 
   新大使は当地に赴任するまで7年間にわたり、マクシマ王妃の個人秘書として勤務し、王妃の活動、特に、包摂的金融に関する国連事務総長の特使としての活動や企業家精神に関するオランダ評議会メンバーとしての活動を支えてきました。2019年には、マクシマ王妃の訪日に同行したそうです。政府間の外交とは一味も二味も違う外交の話を伺い、たいへん勉強になりました。
 
   王室外交を経験し、欧州7か国語を操る新大使には、今後、様々なことを御教示頂きたいと思います。





2021年10月10日(日)2012年ガシュパロビッチ大統領訪日団(フレンズ・オブ・ジャパン)の会からの御招待

   9月下旬に公邸にお招きした、2012年のガシュパロビッチ大統領(当時)の訪日団の集まり(フレンズ・オブ・ジャパン)に御招待いただき、ブラチスラヴァ近郊のモドラに出かけました。
 
   「もう二度目?」と思われる方も多いかと思いますが、これがスロバキア流の親しき仲間のお付合いのようです。この会の皆さんの親日家ぶりの表れであり、大使としてはうれしい限りです。
 
   80歳を超える元大統領も元気にボーリングを楽しみ、モドラ名産のワインを片手に名物のダック・ローストの赤キャベツ酢漬け添えを完食され、お年を感じさせないかくしゃくとした姿でした。建国の父であり、国会議長を6年間、さらに2014年まで大統領として10年間、国のリーダーを果たしてこられた方の尋常ならざるスタミナに脱帽です。元大統領のこのエネルギーが、この集まりの盛会の源なのだと実感しました。
 
   フレンズ・オブ・ジャパンの皆さんには、今後とも、スロバキアと日本の友好発展の支えとして、大使館との協力を一層発展・強化していただけるよう、お願いを申し上げました。
 
   なお、モドラの街は、ブラチスラヴァから25キロほど離れた、小カルパチア山脈のふもとに広がるぶどう畑の中のきれいな街です。スロバキアのワインの名産地のひとつであり、また、モドラ焼きと呼ばれる、地中海を思わせる明るいきれいな色使いの陶器の街としても有名です。19世紀にスロバキア語の文法体系を完成させた、ルードヴィッヒ・ストゥールが晩年を過ごした地でもあり、週末の散策にふさわしい街です。
 




スペインのソフィア王妃音楽学校オーケストラのコンサート(2021年10月9日(土))

   10月9日、スペイン大使からの御招待で、ブラチスラヴァのシンフォニー・ホールで行われたコンサートに出かけました。マドリッドにあるソフィア王妃音楽学校の創立30周年を記念して、そのオーケストラによる東欧各国ツアーがブラチスラヴァで開催されたものです。
 
   演目の一つはプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番でしたが、その難曲をみごとに演奏したのはドイツのアラベラ・シュタインバッハーさんでした。世界の名だたるオーケストラと共演経験を持つ方ですので、クラッシック・ファンの方は既にご存知だと思いますが、彼女のお母さまは日本人だそうで、レセプションでお会いした際に、流暢な日本語で話しかけられたのには大変驚きました。ブラチスラヴァのシンフォニー・ホールで、スペインのオーケストラを聞き、日本にもゆかりを持つシュタインバッハーさんの演奏に感動するという、とても稀有な経験をさせていただきました。さまざまなところで日本の才能が力を発揮しているのだとうれしく感じました。
 
   ブラチスラヴァではこの秋から、久しぶりにコンサート、オペラ、バレエなどのシーズンを迎えています。実は、スペイン大使館の御招待によるコンサートは、この秋2回目です。前回はスペインの若いピアニストのコンサートに御招待いただきました。今晩もそうでしたが、当地の各国大使夫妻の多くが会場を訪れ、才能あふれる若き音楽家たちの演奏に触れ、スペインの芸術・文化の懐の深さを理解するのです。これは素晴らしい文化外交だと思います。スペインだけではなく、他の欧州各国大使館からも、同様の御招待を受けることは多いです。
 
   コロナ感染もあり、現状では、日本から芸術家・芸術団体が欧州を訪問し、日本の文化を生で経験してもらうということはまだ困難な状況です。しかし、仮にそれが再開しても、日本大使館が当地有力者や各国大使夫妻などを多数御招待して、日本文化への理解を深めてもらうというかたちで外交を展開することは残念ながら困難だと言わざるをえません。そのための予算が措置されていないからです。
 
   国ごとに考え方に違いがあるのかもしれませんが、一度、スペイン大使はじめ欧州各国大使とも議論してみたいと思います。
 

アラベラ・シュタインバッハーさん
及びスペイン大使と
スロバキア・シンフォニー・ホールの内部
 




トポルチャニ市への訪問(1)(2021年10月5日(火)):スロバキアのユニークな義務教育制度
 
   10月5日、スロバキア東部、ニトラ市の北方にあるトポルチャニ市のジエッチオーヴァ市長から御招待を頂き、初めて同市を訪問しました。以前、コンサートで初めてお目にかかった際に、「是非、トポルチャニへ」とお誘いを頂いていたものです。
 
   市庁舎での懇談ののちに、1903年に創立された市内で最も古い小学校(第1学年から第9学年まで)を見学させてもらいました。スロバキアの学校制度は日本とは異なり、算数、国語、語学、理科、社会などの「教科」だけでなく、音楽、美術、演劇などの「アート」を通じての全人格的成長こそが大事だという教育方針に基づき、小学校段階から、「教科」を主体とする小学校と「アート」を専門にする小学校の二つが並列するシステムになっています。小学校1年生から、午前は前者に行き、それが終わり次第、後者に行くことが出来る、という制度で、後者は、英語で言えば、「プライマリー・アート・スクール」となるそうです。
 
   訪問では、まず、120年前に設立された「教科」小学校を見学し、その後、それに隣接するプライマリー・アート・スクールを見学しました。スロバキアの伝統フォーク・ダンスや迫力のあるドラム音楽、あるいは学校ステージでの音楽パフォーマンスなど、いずれも見事な出来栄えで、生徒の皆さんから大歓迎を受けました。低学年から高学年まで、生徒たちが明るい、優しい笑顔で、生き生きとパフォーマンスをしていたのが印象に残り、生徒皆が学校生活を楽しんでいる素晴らしい学校だと感じました。義務教育の低学年段階から「アート」を重視する学校制度には学ぶべきところがあるような気がします。
 
   120年前の学校の創立にあたっては、地元の有力な事業家だったシュトゥメール男爵が多大な支援を行ったそうです。現在の立派な学校校舎は、当時のものがそのまま使われています。男爵は、教育という次世代への投資を実行しただけではなく、他にも病院の設立、殖産興業など地元の発展に私財を投じたそうです。スロバキアの小都市であるトポリュチャニに、120年も前に賢明な資産家がいたのだと感心しました。「その後、シュトゥメール家はどうなったのですか」と聞いてみると、「社会主義体制になって、すべての資産を没収されました」とのことでした。もし、その後も、男爵のような徳の高い資産家が、地元発展のためにリーダーシップを取っていたならばどうなっていたのだろうかと考えると、複雑な気持ちになりました。
 

     
     
   




トポリュチャニ市への訪問(2)(2021年10月5日(火)):アポニー家の図書館訪問
 
   引き続き、トポリュチャニ市のジエッチオーヴァ市長に、近郊のオポニツェにある、アポニー家の図書館を案内してもらいました。
 
   恥ずかしながら全くの不勉強でしたが、現在オポニツェと呼ばれているこの地は、ハンガリー王国時代、さらにハプスブルグ家のもとでオーストリア・ハンガリー帝国となった時代を通じ、最有力の貴族のひとつであったアポニー家が城や館を構えた本拠地であったそうです。当時は地名もアポニーでした。そのアポニー家が18世紀後半から図書コレクションを始め、最盛期には3万冊を超える膨大な図書を揃えたものが、今に伝えられ残っています。
 
   ウィーンで始められた図書コレクションは、その後プレスブルグ(現在のブラチスラヴァ)に移され、さらに一家の本拠地であったアポニーに移され、壮大な館に図書館として整備されたそうです。第一次世界大戦後にオーストリア・ハンガリー帝国は解体され、一家はアポニーを去りましたが、館と本はそのまま残されました。第二次世界大戦後の社会主義化とともに館は朽ち果て、貴重な図書コレクションも放置されていたそうですが、幸い、1970年代に図書だけは別の場所の国立図書館に移され、散逸、破損を免れたようです。10年ほど前に民間企業がオポニツェに「ホテル・シャトー・アポニー」としてアポニー家のマナー・ハウスを再建した機会に、アポニー家図書はもともとあった場所に戻ることが出来たという変遷だそうです。
 
   現在のスロバキアの近世・近代における歴史の変遷をそのまま辿ったような来歴を持つ、貴重な図書コレクションです。現在も2万冊をゆうに超える蔵書のほんの一部を見学しましたが、ニュートンが万有引力の発見を報告した本、コペルニクスが地動説を発表した本、デカメロンの立派な革装丁本など、見たこともない希少本ばかりで、一見して凄いコレクションであることがわかります。ハンガリー王国時代の大貴族の生活ぶりを思い浮かべることができました。
 
   こんな素晴らしいアポニー家図書コレクションが、人知れずスロバキアの小さな街、オポニツェに眠っているのです。
 
   知れば知るほど、スロバキアにはまだまだ凄いものがあるのだ、と感銘を受けました。
 




トポルチャニ市への訪問(3)(2021年10月5日(火)):大モラビア王国の遺物を見学
 

   引き続き、トポルチャニ市のジエッチオーヴァ市長に、近郊のボイニャにある、大モラビア王国考古学博物館を案内してもらいました。博物館の上階はボイニャの町役場になっており、町長にも歓迎頂きました。
 
   大モラビア王国とは、9世紀ごろに、現在のスロバキア西部、チェコ、オーストリア、ハンガリー北部を領域として成立した、スラブ民族による大王国です。その中心地は、現在のスロバキアのニトラ付近であったと考えられています。スラブ系のスロバキアの歴史は、この大モラビア王国時代から始まる、と言われています。ボイニャの川上をたどった山中に、その時代の集落及び城塞の遺跡があり、現在も発掘調査が継続中です。ボイニャの考古学博物館にはその出土品が陳列されています。
 
   スラブ系の国々では、9世紀後半に、(今の)ギリシャ出身のキリル(スロバキアではシリル)とメトディウスの兄弟が、ビザンツ帝国皇帝の命でモラビアに派遣されて、キリスト教を普及したということが歴史的重要性を持っています。スラブ系の国々で今も使われるキリル文字は、この伝道師兄弟のキリルの弟子たちが完成させたものだからです。今も多くのスラブ系の国で、この兄弟をたたえる日が祝日になっています。
 
   しかし、ボイニャの遺跡からは、キリルとメトディウスの伝道前から、大モラビア王国でキリスト教が信仰されていたことを示す物証が発掘されています。祭壇を飾っていたと考えられる天使の彫刻が施された金箔の銅板や、今も音色を出す銅の鐘などです。スラブの国々におけるキリスト教信仰の古さを証明する場所が、スロバキアのこの小さな集落、ボイニャだ、ということになっています。
 
   この事実にどれくらい感動するかは人それぞれだと思いますが、バルカン半島からロシアまで広がるスラブ圏の中ではとても重要な歴史的事実です。ボイニャの町長は、出土した銅の鐘のレプリカを作成し、バチカンにて、ローマ教皇フランシスに献上することが出来た、というほどの重要性を持つのです。
 
   ニトラ北部のトポルチャニ周辺は、ニトラ川の両岸に広がるなだらかな、のどかな丘陵地帯です。スロバキアの観光ガイドにすら大きな記載はありませんが、スロバキアの歴史を語る上では欠くことが出来ない物語を秘めている場所であることが理解できた一日でした。御招待いただいたトポルチャニ市に御礼を申し上げます。
 




トレンチアンスケー・テプリッツェ市での植樹桜の除幕式(2021年9月28日(火))
 
   9月28日、スロバキア東部、スパで有名なトレンチアンスケー・テプリッツェ市で、デュルメコーヴァ市長ともに、昨年植樹された桜並木の除幕式を行いました。
 
   同市には昨秋、初めて訪問し、日本・スロバキア友好100周年行事として実施していた桜植樹プロジェクトに同市も参加してもらう相談をしました。その後、32本の桜の木が市庁舎の目の前の通りに植樹され、さっそく今年の春にはきれいな花が咲き、市民の皆さんに喜んでもらえたとの御報告をもらっていました。この度、同市において植樹の記念プレートを作成したので共同で除幕式を行いたい、との御招待をいただき、再訪いたしました。
 
   写真にあるとおり、スロバキア語と日本語でメッセージが書かれた立派なプレートが出来ました。今後とも、訪れる人に植樹の趣旨を伝え、日本とスロバキア及び同市の友好関係の進展を見守ってくれることでしょう。
 
   昨年来相談を進めてきたデュメルコーヴァ市長とフェドローヴァ副市長には再会を喜んでもらえ、また、今後も同市の学校授業での協力について議論するなど、大変有意義な時間を過ごせました。昨年来のコロナ禍で対面での外交活動が制約されていましたが、こうして既知の友人と向き合うと、外交において人と人とが直接コミュニケーションすることの大切さを実感いたしました。
 
   なお、スパホテルなどが立ち並ぶ同市の目抜き通りに、小さなワッフル屋さんがあります。日本の「ゴーフル」のような、薄いパリッとした円形のワッフルにヘーゼルナッツなど様々なフレーバーが挟み込んであるのですが、とても美味しいものです。大使館のスロバキア人職員の間でも、ここでしか買えない名物ということで人気があります。一度試してみてはいかがでしょうか。
 

     
 


 

ヤヴォロヴァ・アレイ小学校での授業(2021年9月27日(月))
 
   9月27日、ブラチスラヴァ郊外のチェルナ・ヴォーダにあるヤヴォロヴァ・アレイ・エレメンタリー・スクールで、日本についての授業を行いました。これは、当地の外務欧州問題省から、26日がEUのインタナショナル・ランゲージの日なので、日本や語学について生徒に授業をして欲しいとの要請を受けて実施したものです。
   第8学年(日本の中学2年相当)の生徒30名ほどを前に、日本の地理、歴史の概略、日本で行くべきところ、日本で経験すべきこと、そして最後に日本語で自分の名前を書いてみよう、ということで漢字・平仮名・片仮名の基礎を紹介するプレゼンテーションを行いました。
   日本に行ったことがある生徒はいませんでしたが、日本もスロバキアと同様、山が国土の70%を占めること、スロバキアが誇るハイタトラスの山並みと同様の雪と岩の日本アルプスがあること、スロバキアに古いお城が多数あるのと同様日本にも素晴らしいお城が沢山残っていることなどを聞いて、日本に親近感をもってくれたようです。
   しかし、生徒たちが一番関心を示したのはやはり日本の食べ物で、寿司、ラーメン、餃子など当地でも経験出来るものは良く知っていました。一方、日本の鰻の蒲焼は知られているのではないかと期待していましたが、海を持たないスロバキアでは鰻そのものを知っている生徒が少数であったのは私の迂闊でした。
   二国間の友好を深めるために一番大切なことは、相手の国のことに関心を持ち、理解する若い世代を少しでも増やすことだと思います。今後も機会があれば、今日のような取組みをどんどんやっていこうと思いました。将来、日本を訪れるスロバキアの若い人たちが少しでも増えることを期待したいと思います。
 




バンスカー・ビストリッツア県知事御招待によるアジア大使会議への参加(2021年9月24日(金))
 
   9月24日、スロバキア中部にあるバンスカー・ビストリッツア県の知事の御招待で、他のアジア諸国大使とともにバンスカー・ビストリッツアのフロムセック市で開催された会議に参加しました。
   この会議には、ジョージア、インド、インドネシア、日本、韓国の各大使のほか、中国大使館の次席、さらにスロバキア外務欧州問題省のクルス副大臣も参加し、若年層の人口流出に悩む中部スロバキアのバンスカー・ビストリッツア県が、観光振興、イノベーション企業の誘致などによる雇用創出、医療・介護体制の確保・充実といった課題にどのように取り組んでいるかについて説明を受け、活発な議論が行われました。
   スロバキアに赴任する前には、日本で地方創生の仕事も経験したことがありますので、スロバキアも同様の政策課題に直面していることを実感しました。流暢な英語で堂々とプレゼンをするチームメンバーが、バンスカー・ビストリッツア県で生まれ育ち、一度はブラチスラヴァで就職したが、その後、故郷の地方創生のために地元へ戻り、現在はそこでリーダーシップをとっている方々であることを聞き、少し安心しました。バンスカー・ビストリッツア出身のクルス副大臣も、自分の後輩たちのたくましい姿を見て、心強く思ったことだと思います。
   なお、フロムセック市にある木造教会はユネスコの世界遺産の指定を受けているもので、一見の価値があります。
 

     
   




ガシュパロビッチ元スロバキア大統領の2012年訪日団メンバーとの懇談(2021年9月23日(木))
 
   2012年6月に、ガシュパロビッチ大統領(当時)をトップとするビジネス団が訪日しました。当時のメンバーの方々を大使公邸にお招きして、懇談しました。
   この訪日団メンバーの方々は、その後も定期的に元大統領を含めたメンバーで集まり、その時の駐スロバキア日本大使も呼んでいただいて、スロバキア・日本の友好を深める活動を継続されています。昨年の赴任以来、何度か親睦会の御案内を頂いたのですが、残念ながらコロナウィルス感染症のためにキャンセルされました。今回初めて訪日団の皆様と親しくお目にかかることができました。
   既に10年近く前の訪日ビジネス団なのですが、当時の思い出やその後の日本とのかかわりを語る皆さんの口調の力強さには圧倒されました。今も「フレンズ・オブ・ジャパン」を自認されていて、心強い味方を得たように思いました。現在も様々な分野で御活躍されていますので、スロバキアのビジネスのこと、スロバキアと日本で共同して出来ること、その輪をスロバキアでどのようにして広げていけるのかなど、今後、御教示頂きたいと思います。





スロバキア・オリンピック委員会による選手団歓迎式典への出席(2021年9
月21日(火))

 
   9月21日、ブラチスラヴァ郊外のセディン・ゴルフコース・クラブハウスで開催されたスロバキア・オリンピック委員会主催のオリンピック選手団の帰国歓迎式典に出席し、祝辞を述べました。
   東京オリンピック大会では、スロバキアは金メダル1個、銀メダル2個、銅メダル1個、獲得メダル数合計4個という成果を挙げました。2016年のリオデジャネイロ大会では、出場選手51人で金メダル2個、銀メダル2個、合計4個のメダルでした。今回の東京大会では出場選手数が41人と少なくなりましたが、少数精鋭でリオ大会と同じメダル獲得数を得たということで、シーケル会長も満足そうでした。シーケル会長からは、日本大使館からの協力への感謝の印として、同委員会編集による立派な記録写真集及びオリンピックバッジを使った記念の額縁を贈呈いただきました。日本との時差はありましたが、自分もテレビやネットでスロバキア選手を応援した甲斐があり、嬉しく思いました。
   式典には女子射撃で金メダルを獲得されたシュテフェチコヴァ―選手や男子ゴルフで銀メダルを獲得されたサバティーニ選手なども参加しており、親しく話すことが出来、また、メダルにも触らせてもらえたことは感激でした。メダルが思っていたよりずっと重いことが印象に残りました。
   スロバキア選手の皆さん、次回パリ大会でも御活躍を祈っております。
 

       




スロバキア外務欧州問題省主催の「イノベーション・デー」セミナーへの出席(2021年9月20日(月))
 
   9月20日、ブラチスラヴァ市内のマタドール社において開催された、スロバキア外務欧州問題省主催の「イノベーション・デー」セミナーに出席しました。
   「イノベーション・デー」セミナーは、昨年秋より同省が始めた企画で、原則毎月一回開催され、先進的な取組みを行うスロバキア・ビジネスなどを、在スロバキア及び在オーストリアの大使たちに紹介するという企画です。昨年の秋以降の当地の新型コロナウィルス感染症の流行により、オンライン形式で開催されることが多かったのですが、この6月から会社の現場を訪問し、直接、経営者から説明を受ける形式で再開されています。毎回、外務欧州問題省のボロツコバー副大臣みずからが司会しますので、自国の企業を世界に売り込みたいというスロバキアの意気込みが伝わるイベントです。
   今回訪問したマタドール社は、1902年創業の自動車タイヤ製造会社でありますが、2000年代以降は自動車デザイン、自動車製造工程のデジタル化、システム化を支援する会社へと変貌し、現在ではドイツの大手自動車会社でもその技術を活用した製造ラインが使われているような会社です。
   「イノベーション・デー」では、これまでにも、昨年来の新型コロナ感染症拡大のなかで、スロバキアでPCR検査キットの開発・販売を始めたマルチプレックスDX社を始め、国際会議のプレゼンなどで会場の聴衆等から即時にアンケート調査結果を集計表示する「スライド」のアプリケーションを開発したスライド社、アルツハイマー治療薬の開発に挑戦しているアクソン・ニューロサイエンス社、SDGsや欧州グリーン・ディールの達成のために炭素排出実質ゼロの循環社会形成の実験に取り組むIPMグループなど、印象的な取組みを行うビジネスを紹介してもらいました。





スロバキア・パラリンピック委員会による選手団歓迎式典への出席(2021年9月18日)
 
   9月18日、スパ保養地として有名なピエスチャーニで開催されたスロバキア・パラリンピック委員会主催のパラリンピック選手団帰国歓迎式典に出席し、祝辞を述べました。
   東京パラリンピック大会では、スロバキアは金メダル5個、銀メダル2個、銅メダル4個、獲得メダル数合計11個という大きな成果をあげました。2016年のリオデジャネイロ大会の11個に並び、2012年のロンドン大会の7個から大きく躍進し、スロバキアにとって東京大会は大変意義のあるものとなりました。式典では、コロナ禍で困難ななか、大会を開催し無事に全日程を終了した開催国日本への感謝が表明され、リアポシュ委員会会長から感謝状の贈呈を受けました。
   式典後は、これまでのパラリンピック大会でメダルを獲得した選手名を刻んだ銘板を埋め込んだ「ウォーク・オブ・ザ・フェイム」で、今東京大会でのメダリストの名前が彫られた新しい銘板を披露するテープカットが、ヘゲル首相も列席して行われました。
   スロバキアでのパラスポーツの今後の発展、パラアスリートのますますの活躍を祈ってやみません。
 

     
 
  金メダリストのヴァドヴィチョーヴァ
選手とともに
 




アジア諸国大使によるインドネシア大使の送別(2021年9月16日)
 
   9月16日、韓国大使公邸にて開催されたインドネシア大使の送別会に出席しました。アスマディ・インドネシア大使は2017年に着任して以来、4年間にわたって、6人いるアジア諸国大使のとりまとめ役ともいうべき重要な役割を果たしてこられました。
   スロバキアには各国大使館が46館ありますが、当地の外務欧州省アジア・太平洋部が担当する「アジア諸国」は6か国です(中国、インド、インドネシア、日本、韓国、ベトナム。外務欧州省による外交団リストの順)。ちなみにEU加盟国の大使館数は18、EU非加盟の欧州諸国の大使館数は12、欧州で合計30公館ですので、「アジア諸国」の大使館はもちろん少数派です。そのなかで「アジア・ウィークエンド」などの行事を通じて「アジア諸国」として独自の存在感を発揮できているのは、アスマディ・インドネシア大使の尽力によるところが大であります。今後とも、ブラチスラバ外交団のなかで「アジア諸国」としての存在感を盛り上げていくことの大事さを感じました。





マレッシュ国際ヴィシェグラード基金新事務局長との面会(2021年9月16日)
 
   9月16日、8月に国際ヴィシェグラード基金(IVF)の新事務局長として着任したペトロ・マレッシュ大使の表敬訪問を受け懇談しました。
   本年5月にワルシャワで開催されたV4+日本の外務大臣会合では、V4と日本が協力して西バルカン地域支援をしていくことが合意されましたが、その際、IVFは重要なパートナーになります。IVFはV4諸国が条約に基づき設立した国際機関で、西バルカンの民間団体を通じて文化・教育・人材育成など幅広い分野で支援実績を積み上げています。今後のさらなる協力の強化に向けて、しっかりと議論を積み上げていくことが大事です。





中川大使のローマ教皇スロバキア訪問諸行事への出席(2021年9月13~15日)
 
   9月13日、大統領府で開催されたチャプトヴァ―大統領によるフランシス・ローマ教皇歓迎式典に出席しました。フランシス・ローマ教皇は12日から15日までの4日間の予定でスロバキアを訪問中です。ローマ教皇がスロバキアを訪問するのは2003年のヨハネ・パウロ2世による訪問以来、18年ぶりのことです。
   また、9月15日には、スロバキアの最大の巡礼地であるブラチスラバ北方のシャスティンで執り行われたローマ教皇によるミサに当地外交団一員として参列しました。数万人の参列者が参列するなか、厳粛に執り行われた教皇ミサに参加できたことは貴重な経験でありました。
 

 

 



中川大使の全国盆栽・水石展出席及びレヴォチャ市長表敬(2021年9月11日)
 
   9月11日、スロバキア東部のレヴォチャ市内の県庁舎で開催されている第18回全国盆栽・水石展に出席しました。本展覧会は、昨年、コロナ禍により中止され、1年越しで開催されたものです。6月のコシツェ出張の際に、スロバキア盆栽連盟会長のユライ・サボ会長と初めてお会いし、9月の展覧会には足を運びますからとお約束していましたが、その約束を果たすことが出来ました。
   サボ会長の案内のもと、ヴィルコウスキー・レヴォチャ市長とともに展示されている盆栽を見て回りましたが、どれも見事なものばかりであります。スロバキアの盆栽愛好家の並々ならぬ情熱を感じました。日本大使賞作品を選んで欲しいというお話でしたので、スロバキアの国樹である菩提樹(リパ)を見事な枝ぶりに仕上げてある盆栽を、「スロバキアと日本の友好の象徴」という意味も込めて、選ばせていただきました。ペテル・ボンク氏の作品です。
   展示会場の別室では、若手の盆栽家たちが山から採ってきたばかりの松の木を剪定し、針金で枝ぶりを作る作業を見せてくれました。この苗木が「盆栽」と呼べるようになるのにはまだ長い年月がかかるのでしょうが、若い盆栽家が次々出てきているので、スロバキアの盆栽はこれからますます発展していくことは間違いないと思います。サボ会長のリーダーシップは素晴らしい、と改めて感じました。
   展示会では、スロバキア水石協会の会員による水石も少数ですが展示されていました。恥ずかしながら水石を鑑賞するのは初めてでしたが、日本とは異なる風土で生まれる石の表情はこれまで見たことがないものも多く、興味深く拝見させていただきました。水石協会の会長には、全国水石展にも足を運びますとお約束いたしました。
 

     




中川大使の日本文化支援団体幹部との懇談(2021年9月9日)
 
   9月9日、スロバキア将棋・碁協会会長及びジャパン・フェスト実行委員会幹部などと大使館公邸において懇談を行いました。
   これら団体には7月下旬にブラチスラバ経済大学で開催された「ジャパン・デー」行事で、参加者に将棋、碁、折り紙、組み紐などを体験してもらうワークショップをお手伝い頂きました。長年にわたり、スロバキアにおいて日本文化の促進活動を続けてこられたことを感謝するとともに、大使館の広報文化活動を支えていただくパートナーとしての大切さを実感しました。今後、さらに緊密に協力、意見交換をさせていただきます。





中川大使のクルピナ市訪問(2021年9月8日)
 
   9月8日、スロバキア中部のクルピナ市を訪問しました。クルピナ市には、昨年、日・スロバキア交流100周年を記念して市庁舎前に桜が植樹されており、その記念プレートの除幕式に参加するためです。
   除幕式の前に、まず桜の植樹に御協力をいただいたブラザー・インダストリー社を訪問しました。ローレンス工場長から同社の取り組みについて説明を受けるとともに、工場内を案内して頂きました。クルピナ市にある同社の工場では、カラー及び白黒のレーザープリンター用のトナーカートリッジの製造とリサイクルを主に行なっており、欧州だけでなく、広くアジアまで出荷されています。全世界から回収されてきたトナーカートリッジを徹底的に検査し、洗浄し、消耗した部品を交換し、新たにトナーを詰めなおしてリサイクルする工程を見学しましたが、リサイクル品に関する消費者からのクレームがこれまでに一桁しかないということや、10年以上にわたりリサイクルされているカートリッジがあるという説明には、大変驚きました。
   続いて、同市の市庁舎で、ヴァザン市長から歓迎を受け、市長及びローレンス工場長と共に、市庁舎前に植樹された桜の記念プレートの除幕式を行いました。ブラザー・インダストリー社とクルピナ市の協力の下、クルピナ市各地には31本の桜の木が植樹されています。
   最後は、クルピナ市のご要望により、市庁舎近くのアンドレイ・スラートコヴィチ高校にて、生徒に日本文化や日本語の書き方の基本について1時間ほど授業しました。同高校では、希望する生徒らを対象に、日本語コースが始まるそうです。クルピナ市は中部スロバキアの山間部にある街ですが、そのような立地でも高校で日本語学習が広まることに勇気づけられます。大使館としても、もっとスロバキアにおける日本語学習の普及に尽力しなければいけないと思いを新たにしました。
   蛇足ですが、授業は英語で行いましたが、小生との質疑応答を含め、高校生たちが全く問題なく理解し発言していたことは驚きでした。スロバキアでは高校でも実用英語の教育がかなりのレベルであると感じました。
 

     
     
   




中川大使のバチカン市国教皇使節への表敬訪問(2021年8月30日)
 
   8月30日、駐スロバキアのバチカン市国教皇使節であるジャコモ・グイド・オットネッロ大司教を表敬訪問しました。
   カトリック系の国の外交上のプロトコールでは、バチカン市国教皇使節が外交団の長(ディーン)とされており、当地外交団の長への表敬訪問であります。オットネッロ大司教によれば当地で日本大使の表敬訪問を受けるのは初めてということで、歓迎されるとともに、大司教からは日本の天皇制度についてなど、日本に対する多大なる関心の表明がありました。
   9月中旬のローマ教皇のスロバキア訪問を前に多忙を極める大司教と面談出来たことに感謝を申し上げます。





中川大使のバンスカー・ビストリッツアでのスロバキア民族蜂起記念式典への参列(2021年8月29日)
 
   8月29日、スロバキア中部のバンスカー・ビストリッツアにあるスロバキア民族蜂起(SNP)博物館で執り行われた第77回SNP記念式典に参列し、博物館敷地内にあるSNP記念碑へ献花しました。
   SNPが始まったバンスカー・ビストリッツアでの記念式典はスロバキア政府主催の最も重要な記念式典で、毎年、大統領、国会議長及び首相の3人の憲法上の重要役職が出席し、式辞を述べることが恒例です。今年の式典はコロナ対策の観点から入場者数の制限などがありましたが、1944年8月29日のSNPに参加し、現在も健在の90歳を超える元兵士が民主主義の重要性やSNPの精神をスロバキアの若い世代につなぐことの重要性を訴える演説をする等、力がこもった式典となりました。
 




中川大使のスロバキア民族蜂起記念碑への献花(2021年8月26日)
 
   8月26日、ブラチスラバ市内のスロバキア民族蜂起(SNP)記念碑広場での式典に参列し、日本大使館を代表して記念碑に献花しました。
   1944年8月29日からスロバキア中部のバンスカー・ビストリッツアで始まったスロバキア民族蜂起(SNP)は、翌年のスロバキア解放につながる重要な歴史であります。ブラチスラバ市内のSNP広場でも、毎年、献花式が執り行われます。この日は生憎の雨模様でしたが、スロバキア軍兵士随行のもと、各国大使や関係者などが献花を行いました。





中川大使のオリンピック・フェスティバルでのトークショー出演(2021年8月6日)
 
   8月6日、オリンピック・フェスティバルが開催されているシャモリーンに再び出かけ、自分のこれまでのスポーツ経験や、オリンピックやスロバキア・オリンピック委員会との協力等をテーマに、ミラン・アンブローズ(通称:ミモン)氏とのトークショーに出演しました。
 




スロバキア・パラリンピック委員会の特設スタジオ「PARATOKIO」のためのビデオ収録(2021年8月5日)
 
   8月5日、スロバキア・パラリンピック委員会が東京の特設スタジオ「PARATOKIO」からのオンライン放送で使うためのビデオを、大使館公邸で撮影しました。撮影された映像は東京パラリンピック競技大会最終日9月5日に放送されます。
   パラリンピック競技大会やスロバキア・チームのホストタウンである岐阜市との協力等について、司会のヴィステロヴァー・ヴェラさんとのインタヴューを収録したのに続いて、石森公邸料理人が日本食について説明するとともに、太巻きの作り方を紹介する映像を収録しました。
   撮影されたインタビューの様子は、スロバキア・パラリンピック委員会公式Youtubeチャンネルからご覧いただけます(大使インタビューは32分10秒あたりから)。
   https://www.youtube.com/watch?v=-TZcS6pCfWE&t=1936s 
 




中川大使のスロバキア輸出事業者協議会訪問(2021年8月4日)
 
   8月4日、ブラチスラバ市内のスロバキア輸出事業者協議会を訪問し、パリーゼク会長(前外務欧州省副大臣)と懇談しました。
   この協議会は、昨年設立された民間団体で、輸出に関心あるスロバキア企業が会員(現在約80事業者)となっています。経済省、外務欧州問題省、スロバキア投資貿易促進公社(SARIO)などに分散するスロバキアの貿易政策・支援措置について、民間事業者の立場からワン・ストップ・サービスとして情報提供することにより、スロバキアの海外輸出を促進しようという新しい団体です。
   パリーゼク会長とは日本のJETRO等との連携など、スロバキアからの日本向け輸出の促進について、今後の協力の可能性などについて懇談しました。翌5日には、協議会事務所において、ポッドキャスト・インタビューの録音も行われました。御関心のあるかたは以下のリンクからどうぞ。
 
   https://www.exporteri.sk/en/podcast/
 




中川大使のオリンピック・フェスティバル出席(2021年7月23日)
 
   7月23日、シャモリーンのX-BIONICスポーツセンターで開催された「オリンピック・フェスティバル」の開会式に出席し、スロバキア・オリンピック委員会のアントン・シーケル会長とともに、本フェスティバル開幕の祝辞を述べました。
   このフェスティバルは、スロバキア・オリンピック委員会が主導して、民間企業のスポンサーシップの協力で、東京大会開催期間を通じて、さまざまなイベントを実施して、スロバキアでのオリンピックムードを盛り上げようというイベントです。東京大会は外国人観客無しで開催することが決まってますので、観戦に行けないスロバキア人のために、せめてスロバキア国内でオリンピックを少しでも身近に楽しんでもらおうということです。フェスティバル開会式には、家族連れも含めて多くの観客が集まっており、東京でのオリンピック開会式のビデオを見ながら、開幕を楽しんでいました。開会式では、元カヌー・オリンピック選手で幾度も金メダルを獲得したペテル・ホフスホルネルとパヴォル・ホフスホルネル兄弟がフェスティバルのトーチに点火しました。
   X-BIONICスポーツセンターはドナウ川沿いの広大な土地に、レーストラックから陸上トラック、体育館、宿泊施設までありとあらゆるスポーツ施設・設備がそろったもので、その規模には驚かされました。スロバキア選手団の事前国内合宿にも使われたそうです。
 
 



中川大使のスロバキア・パラリンピック委員会代表者らとの昼食会(2021年7月23日)
 
   7月23日、東京パラリンピックの開会を前に、スロバキア・パラリンピック委員会幹部から東京大会に向けた準備状況について説明を受けるとともに、大会ホスト国を代表して、皆さんを大使館公邸での昼食会にお招きしました。
   昼食会には、スロバキア・パラリンピック委員会ヤーン・リアポシュ会長のほか、スロバキアで最も活躍するパラ射撃選手のヴェロニカ・ヴァドヴィチョヴァー選手にも出席していただきました。リアポシュ会長は、これまで6回のパラリンピック大会にパラ卓球の選手として出場し、金メダルを4つ、銀メダルを1つ獲得したという輝かしい経歴をお持ちで、さらに、東京大会では5個目の金メダルを目指しているという、文字通り、スロバキアのパラスポーツの発展を牽引されてきた強力なリーダーです。また、ヴァドヴィチョヴァー選手もこれまでに金メダルを3つ、銀メダルを1つ、銅メダルを1つ獲得されており、世界的に有名なパラ射撃選手です。
   スロバキア・パラリンピック委員会では、8月23日の東京大会開会後は、毎日、東京のスタジオからオンラインで番組を配信し、27人のスロバキア選手の活躍ぶりの報告や日本の紹介をしていくことのことです。
 


 

COOL JAPAN:サマーキャンプ「子供経済大学」でのジャパン・デー実施(2021年7月21日)
 
   7月21日、ブラチスラバ経済大学が主催するサマーキャンプ「子供経済大学」でのCOOL JAPAN:ジャパン・デーに出席し開会の挨拶をしました。
   毎年夏にブラチスラバ経済大学が開催している一週間の「子供経済大学」の一環として、今年は、そのうち一日がジャパン・デーとなったものです。9歳~15歳の50人の子供たちが参加し、丸一日かけて日本での暮らしや地理、文化、あるいは日本のビジネスの実際などについて、体験学習も含めて学びました。スロバキアに拠点を持つ日系企業3社(キャノン・スロバキア社、千代田インテグレ・スロバキア社、ミネベア・スロバキア社)には、子供たちにお揃いのTシャツを作って頂き、大いに盛り上がりました。感謝申し上げます。また、多くのボランティアの皆さんには、囲碁、将棋、組みひもなどの実演ワークショップをお手伝い頂き、子供たちも大変喜んでいました。ありがとうございました。
 

     
 




中川大使のブラチスラバ市大学図書館館長との面談及び「スロバキアの最も素晴らしい本2020」展のオープニングセレモニー出席(2021年7月15日)
 
   7月15日、ブラチスラバ市内にある大学図書館を訪問し、シルビア・スタッセロヴァー館長と面談いたしました。
   英語では「ユニヴァーシティ・ライブラリー」と呼ばれるこの図書館は、特定の大学の図書館ということではなく、スロバキアを代表する総合図書館のような機能を持ちます。またスロバキアの最も重要な図書、文書類を保管する場所でもあるので、国立公文書館のような機能ももつ、非常に重要な施設です。この図書館が設置されている建造物が、かつてハンガリー王国の首都が今のブラチスラバに移転していた時期のハンガリー王国議会として使われていた建造物であることも、この図書館の重要性を示しています。ブラチスラバ旧市街に数ある旧貴族宮殿のなかでも最大級のものです。
   かねてより、スタッセロヴァ―館長からは、過去に日本の文化無償資金協力で整備したマルチメディア学習室の設備の老朽化・陳腐化について話は聞いており、それへの対応も含めて、大使館と図書館の今後の協力の可能性等について協議しました。図書館側からは、サービス改善のための情報技術のサポートの分野での協力に関心が示されました。レボチャの盲人図書館の時にも書きましたが、文化外交のために役立つツールが本当に欲しいと思います。
   同図書館が所蔵する写本や歴史的で希少な古書の文書庫を見学させてもらいましたが、ユネスコ遺産に登録されているものも含め、確かに大変なコレクションを所蔵しています。さらに、日本の歴史、人物や地理に関する歴史的文書等も特別に閲覧させていただきました。
   図書館見学後、スタッセローヴァ館長とともに、文化省で執り行われた「スロバキアで最も素晴らしい本」大賞の授賞式に出席しました。ミラノヴァー文化大臣も出席する行事です。スロバキアでは20年前くらいから、印刷出版された本の中から装丁や内容のデザインを中心に「最も素晴らしい本」を国が表彰することをしています。何もかもがデジタルになる時代ですが、人類の英知は出版社という「目利き」のスクリーニングを経て紙媒体で出版された図書を通じて蓄積されてきたと言っても間違いはないと思います。この表彰制度は、そういう歴史的経緯に敬意を払い続けようとするスロバキアの考え方が反映されているように思いました。素晴らしいことだと思います。
   授賞式の後、同図書館の展示ホールで開催されている展示会「スロバキアの最も素晴らしい本2020」のオープニングセレモニーにも参加しました。館長の突然の御指名により飛び入りで挨拶をさせて頂きました。印刷出版本を大事にするスロバキアの表彰制度の意義を高く評価する旨の祝意を述べました。
 

     
     
   




中川大使の東京パラリンピック競技大会のスロバキア・パラリンピックチームのマスコットキャラクター及びスロバキア選手団の公式ユニフォーム発表会への出席(2021年7月15日)
 
   7月15日、スロバキア・パラリンピック委員会がSPPギャラリーで開催したイベントに出席し、祝辞を述べました。
   本イベントでは、パラリンピック選手団の公式ユニフォームやスロバキア・パラリンピックチームのマスコットキャラクターの「Toki」が、一般市民やメディアにお披露目されました。このマスコットキャラクターの作者は、16歳のパトリック・チェルニャンさんです。
   また、スロバキアのパラ卓球チームやボッチャチームのホストタウンである岐阜市の生徒らから、スロバキア・パラリンピック選手らに宛てた、日本語及びスロバキア語による心温まるビデオメッセージも上映され、会場からも拍手を以て大歓迎されました。コロナウィルス感染により、スロバキア選手団のホストタウンでの事前合宿は中止となり、岐阜市市民との国際交流の機会が失われたことは大変残念でありますが、オンラインあるいはデジタルという形でも、相手にメッセージを伝えたい、応援したいという気持ちは確実に伝わることを実感しました。岐阜市からのメッセージをありがとうございました。
 




中川大使の大統領府でのオリンピック及びパラリンピック選手団の宣誓式出席(2021年7月14日)
 
   7月14日、ブラチスラバ市内の大統領府裏庭で行われたオリンピック及びパラリンピックへのスロバキア選手団の宣誓式に出席しました。
   式典では、スロバキアオリンピック委員会のシーケル会長及びスロバキアパラリンピック委員会のリアポシュ会長から、それぞれの代表選手全員(オリンピックには44人、パラリンピックには27人)が一人一人名前を呼ばれ、チャプトヴァー大統領から壮行の記念メダルなどを授与されたのち、選手が勢ぞろいして、東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向け、チャプトヴァー大統領に宣誓を行いました。
   国によって選手団の激励の仕方は違うのだと思いますが、国家元首に対して選手団全員で宣誓するということは、選手にとってはそれだけ国の名誉をかけて競技を戦うという意味合いが大きいのであり、より感慨の深いものなのだろうなと思いました。選手宣誓は、オリンピック、パラリンピックからそれぞれ一名が代表として宣誓しましたが、オリンピック側からは先日公邸での昼食会に参加していただいた女子体操のバルボラ・モコショヴァー選手が行いました。
 

 




中川大使のスロバキア・オリンピック委員会代表者らとの昼食会(2021年6月29日)
 
   6月29日、東京オリンピックの開会を前に、スロバキア・オリンピック委員会幹部から東京大会に向けた準備状況について説明を受けるとともに、大会ホスト国を代表して、皆さんを大使館公邸での昼食会にお招きしました。
   昼食会には、同委員会ヨゼフ・リバ事務総長など東京大会へのスロバキア代表団幹部と、現在スロバキア体操界のレジェンドであるバルボラ・モコショヴァー選手及びマリアンナ・ネーメトヴァー・クライチーロヴァー氏に参加していただきました。
   クライチーロヴァー氏は、チェコスロバキア代表女子体操チームの一員として、1964年の東京大会を含め3回のオリンピックを経験されました。1964年の東京大会では、世界的に有名になったチャスラフスカ選手とともに団体競技で銀メダルを獲得されています。今回の東京大会には、スロバキア代表団の一員として久しぶりに訪日出来ることを楽しみにされていたようですが、コロナ対策の一環として各国代表団の構成が見直され、日本再訪は叶わなくなったのは残念だと話されていました。
 




中川大使の写真展「日本庭園−自然からインスパイアされた芸術」のオープニングでの挨拶(2021年6月25日)
 
   6月25日夕刻、国立博物館内の自然博物館で開催されている写真展「日本庭園−自然からインスパイアされた芸術」のオープニングに出席し、挨拶を述べました。
   本写真展は、長年にわたる日本庭園の研究を通じた日本とスロバキアとの友好と相互理解の促進への貢献から在外公館長表彰を受賞したタマラ・レハーチコヴァー氏により開催されました。展示されている日本庭園の写真は、2013年に同氏が日本庭園の歴史、デザイン及び造園について学ぶために京都芸術大学に滞在した際と2014年、2015年、2017年と2019年に日本を訪問した際に撮影されたものです。
 




コミヤティチェ市でのトリアノン条約100周年記念碑除幕式への出席(2021年6月25日)
 
   6月25日、スロバキア南西部のコミヤティチェ市で開催されたトリアノン条約100周年記念碑除幕式に招待を受け出席しました。
   1920年6月にベルサイユ宮殿の大トリアノンで署名されたトリアノン条約は、第一次世界大戦後に誕生した「チェコスロバキア共和国」の国境を画定した条約です。スロバキアにとっては、世界史上初めて国名に「スロバキア」を含む国家の誕生を確定した重要な意味を持ちます。当時日英同盟を締結していた日本は、英国とともに第一次世界大戦に加わり、日本もトリアノン条約に署名しました。このような経緯から、上記の式典に日本も招待を受けました。
   コミヤティチェは、その後、1938年のミュンヘン合意により、「チェコスロバキア共和国」の南部がハンガリーに割譲された際には、街の半分がハンガリーとなり、残りが現在のスロバキア側に残ることとなりますが、その後、第二次世界大戦の終了により、再度、街全体が「チェコスロバキア」となり、現在に至るという、数奇な運命をたどりました。このように歴史に翻弄されてきた地を訪れると、歴史を深く知ることの大切さを感じます。
 
 



中川大使のマチェイ・フレベンダ盲人図書館訪問(2021年6月23日)
 
   6月23日の午後は、レヴォチャ市内にあるマチェイ・フレベンダ盲人図書館を訪問し、これまでも大使館が大変お世話になってきたハサイ館長と懇談しました。
   まず、ハサイ館長の案内で、2020年の日スロバキア交流100周年を記念して図書館正面玄関脇の敷地に植樹された桜の木を見させていただき、続いて、さくらの横に設置された、スロバキア語、日本語、そして点字で書かれた記念プレートの除幕式をハサイ館長とともに行いました。
   続いて、図書館内を見学させてもらいましたが、図書館内に、盲人用の録音図書の音源を作成する録音スタジオが整えられ、見学中も録音作業が行われていたのが印象に残りました。録音機器には、かつて日本の文化無償資金協力で設置された機器を現在に至るまで丁寧に使い続けてもらっていることに感動しました。
   現在、スロバキアでは文化無償資金協力を実施することは出来ません。大使館には、さまざまなスロバキアの団体(例えば、日本文化促進活動をしている民間団体など)から、大使館としての支援を要請されることが多々あります。しかし、ODA卒業国の日本大使館では、文化外交を推進するための大使館の手段は非常に限られているというのが大使として赴任してみての実感です。せっかくスロバキアの団体からアプローチを受けても、協力関係を発展させ、共同して文化外交事業をやり、もって日スロバキアの友好発展に資する、ということになかなかつながらないのが現実です。
   もっと率直に言えば、文化外交においては「一緒にやる」ということが大事な要素だと思いますが、そのための「財源」がないと現実は動かないということです。ブラチスラバで各国大使館の文化事業、社会的事業をみていると、特にEU諸国大使館などは、館の大小にかかわらず、かなり広範に、かつ、立派な活動を民間団体などと協力して実施しており、その意味で存在感があります。詳細まで把握しきれてませんが、これら諸国では文化外交予算がキチンと手当されているとも聞いています。また文化外交を担う機関が大使館とは別に存在している国もあります。大使として赴任して以来、この課題の解決方法を思案し続けています。
   レヴォチャの盲人図書館は、スロバキアで唯一の盲人図書館であり、点字図書、録音図書、拡大図書といった文書の発行も行なっており、これらのサービスは、視覚障害、弱視やその他の障害を患っている市民が利用しています。同図書館は自らこのような図書を作成して保管・管理しており、同図書館の存在意義は非常に大きいです。同図書館と在スロバキア日本国大使館は長年の友好関係を持ってきましたが、かつて日本が文化無償資金で提供できた録音機器はいつか更新が必要になります。その時には日本大使館も何らかの文化外交を展開できればと思います。
 

     
 




中川大使のナイデック・グローバル・アプライアンス社及びスピシュスカー・ノヴァー・ベス市訪問(2021623日午前)
 
   今回のコシツェ出張の最後の日である6月23日の午前中は、コシチェ県のスピシュスカー・ノヴァー・ベス市を拠点とする日系企業のナイデック・グローバル・アプライアンス社を訪問し、カンドラ・ジェネラルディレクターらに工場を案内して頂きました。
   同社は、冷凍冷蔵やコンプレッサー製造の部門での革新的ソリューションに取り組んでおり、工場内にスロバキアでも最大級の研究開発センターを有しています。もともと、冷凍冷蔵庫用コンプレッサーの世界的な大手であるブラジルのエンバルコ社の工場としてスロバキア進出していた同社を、2019年に日本電産株式会社が取得し、日本電産傘下の日本電産(ナイデック)グローバル・アプライアンスのスロバキアでの生産拠点となっているものです。従って、現地の経営陣はブラジル人とスロバキア人のみです。21日に訪問したケフネツのマレリ社もそうでしたが、日系企業といってもグローバル展開する中で実に多様な経営陣の構成となっています。
   幼少期にブラジル生活の経験がある自分としては、スロバキア東部の非都市部の日系企業を訪問して、ブラジルの経営者、研究者と懇談するのは、うれしい経験でした。
   続いて、同市のパヴォル・ベチャリク市長を表敬訪問し、スロバキアで最も高い尖塔を持つ聖母教会に隣接する歴史的な市庁舎で盛大な歓迎を受けました。市長は、同市の歴史を説明するとともに、ナイデック社が同市及び同地域にとっていかに重要な役割を果たしているかについて強調されていました。また、同市を訪れる観光客も多いことから、主に文化プログラムで日本大使館と同市との協力を促進したいとのご要望をいただきました。また、ケフネツのコンコイ町長と同様に、日本の市町村と姉妹都市を締結したいとのご要望もいただきました。
 

     
     




中川大使のミネベア・スロバキア社及びU-Shinスロバキア社訪問(2021622日午後)
 
   6月22日午後は、コシツェ市内ある日系企業2社を訪問しました。ミネベア・スロバキア社とU-Shin・スロバキア社です。
   ミネベア・スロバキア社は日本のミネベアミツミ株式会社の完全子会社としてスロバキアに進出し、2018年秋にコシツェ工場を開業しています。現地では、欧州ミネベアミツミの副社長でありミネベア・スロバキアの役員も兼務する斉藤副社長とミネベア・スロバキアのパストラーク・ジェネラルマネージャー等のチームから業務概要の説明を受け、工場を案内して頂きました。
   同社は、主に自動車用モーターと革新的な駆動式技術の製造を行っていますが、製造工場だけでなく研究開発センターも一緒に備え、スロバキアで製品の開発研究も担う点に特徴があります。ミネベア・デヴェロップメント・センター・コシツェ(M D C K)では、情報技術、電気工学、科学、研究の分野で専門技術者を雇用し、コシツェ工場で製造される製品に加えて、家庭や都市開発向けに医療分野、ロボット分野そしてスマート・ソリューション分野での革新的なプロジェクトにも取り組んでいます。例えば、ミネベアミツミが得意なセンサー技術とネットワーク化、システム化を結び付け、街の街路灯の制御をすることによる省エネルギー化、グリーン化を達成するスマート・シティ・プロジェクトを展開しています。
   また、同社には、2020年の日スロバキア交流100周年を記念して実施された「ブルーミング・スロバキア・キャンペーン」を支援して頂き、コシツェ市に100本の桜の木を寄贈して頂きました。
   コシツェ工場の開業が2018年なので、計画に従って操業ラインの拡大途上です。研究開発センターも同様です。産業構造の知的集約産業への転換を進めたいスロバキア政府からの期待も大きく、今後のミネベア・スロバキアの業績の向上を期待します。
 
   続いて、2018年にミネベア・スロバキア社の姉妹企業となったU-Shinスロバキア社を訪問し、同社のクレトヴィチ・ジェネラル・マネージャーに工場内を案内して頂きました。
   たまたまですが、もともと進出していた日本のユーシンの完全子会社であるU-Shinスロバキアの隣接地にミネベア・スロバキアが進出し、その後、U-Shinが子会社になったので、姉妹会社が隣接する立地になったとのことです。地の利を生かしながら、シナジーをどう発揮させることが出来るかが楽しみです。同社は、自動車産業関連の開発・製造・販売を担う日系企業で、スイッチ、コントロールユニットやロックシステムの大手メーカーです。
 

     
   




中川大使のケフネツ町訪問(2021年6月22日午前)
 
   6月22日午前、ケフネツ町を訪問し、コンコイ町長と面談しました。ケフネツ町は、コシツェ市の南方、ハンガリーとの国境に接する位置にあります。昔からハンガリーとポーランドを繋ぐ主要交易路上にあり、現在もハンガリー側では高速道路が整備され、近くスロバキア側でも接続する高速道路が完成し、ハンガリーと東部スロバキアのアクセスが格段に改善されることが見込まれます。
   コンコイ町長は、1990年以降、30年以上にわたりケフネツ町長を務め、町内のさまざまなインフラ整備や2000年代以降は工業団地を整備し、海外企業を誘致するなど、ケフネツ町の発展に尽力してきた有名町長です。その努力が実り、町長に就任したときはケフネツの人口は600人でしたが、現在は1,200人に倍増。また誘致した企業で3,500人の雇用を新しく生んでいるそうです。日本で言えば、「地方創生」の大成功例の立役者というところでしょうか。2009年にはスロバキア政府から叙勲を受けています。
   懇談では、1930年代生まれの御高齢を感じさせない力強い言葉で語られ、町長の地元ケフネツへの情熱と献身が強く印象に残りました。地域の指導者として大成功し、大統領や首相がケフネツ見学に来るくらいのスロバキアでの有名町長で、幾度となく国政進出の打診もあったそうですが、そういう話は一切断って、一貫してケフネツの発展を追求してきたそうです。
   コンコイ町長の夢はまだ終わりません。次なるチャレンジとして、英語・独語など外国語教育に重点を置く「ヨーロッパ統合学校」の建設に既に着手しています。多様性への対応能力のある次世代を育てることが最も大事なリーダーの仕事だとの町長の言葉には頷かざるを得ません。さらに、温水プール、フットボール場、陸上競技場などを備えた大規模「アクア・パーク」建設の構想も、縮小モデルまでは形になっていました。どこまでもケフネツの発展に人生を捧げているコンコイ町長の姿勢には頭が下がるばかりでした。コンコイ町長からは「日本との姉妹都市提携を考えたい」とのご要望を頂きました。時間はかかると思いますが、実現に向けてお手伝いできればと考えます。
   続いて、コンコイ町長にも同行いただき、ケフネツ町の産業地区とそこに立地するマレリ・ケフネツ社を訪問。ヴァイダ工場長とパワー・トレイン部門のプラントマネージャーのセスト・ギウサルナ氏から説明を受け、工場を案内してもらいました。同社は、主に自動車のエンジン燃料噴射装置や排気ガス処理システムなどの高度技術システムの設計、製造を行う企業です。もともと世界的に有名なイタリアの「マニエッティ・マレリ」としてケフネツに進出しましたが、2019年に日本の「カルソニックカンセイ」と経営統合し、統合後もマレリの名称を継続して使うことにしたものです。日系企業ですが、日本人職員はいません。コロナ禍ではありますが、欧州市場での需要が堅調であること、またマレリのような高度の技術製品への需要が引き続き強いことから、増収増益を見込んでいるとの説明は心強い限りでした。自動車用電子チップの世界的供給不足という予断を許さない要因はあるものの、コロナ禍でも、技術力のあるビジネスは生き残る見通しが立つのだということを実感しました。
 

     
     
   




中川大使のパヴォル・ヨゼフ・シャファーリク大学とコシツェ盆栽センター訪問(2021年6月21日)
 
   6月21日、コシツェ市内にあるパヴォル・ヨゼフ・シャファーリク大学と同大学医学部を訪問しました。6月初めにもコシツェ県知事の御招待を受け、コシツェを訪問しましたが、今回はコシツェ周辺の日系企業などへの訪問を中心に21日から23日までの日程で再訪問したものです。
   大学訪問では、パヴォル・ソヴァーク学長及びシルヴィア・ルチンスカー国際関係・モビリティ担当副学長が、医学部からはモニカ・ハラーノヴァー奨学金・国際関係担当副学部長、ペテル・ヤルチュシュカ科学研究担当副学部長及びパヴォル・クリスチアン総合医学英語課程担当副学部長が出迎えて下さいました。面会には、最前線で活躍するスロバキア人感染症学者であり、スロバキア感染症学会会長、同大学の開発・欧州問題担当副学長そして政府のパンデミック委員会のメンバーでもあるパヴォル・ヤルチュシュカ博士も同席されました。
   今回の大学訪問は、現在14名の日本人医学部留学生が総合医学を英語課程で学習している同大学医学部について知るとともに、実際に日本人医学部留学生らと面会し、海外での日本人医学留学生の奮闘ぶりに接することが目的でした。コロナウイルス感染症によるオンライン授業のため、ほとんどの留学生は母国日本でオンライン学習をしており、今回の面会に同席できたのでは2名のみでしたが、海外で、母国語以外で専門分野の勉強することの大変さを共有しました。
   近年、スロバキアを含め、中東欧では日本人医学留学生数がかなり増加しています。学年進行にともない、今後も増加することが予測されます。日本サイドで海外での医学留学手続きをサービスする事業者が増えてきていることなど、さまざまな背景があるようですが、訪問したシャファーリク大学医学部でも、またブラチスラバのコメニウス大学医学部でも卒業することはかなりの難関です。
   その後、新設されたシュミレーター・ヴァーチャル医療センターを視察しました。同センターは、主に日本製の最先端技術を備えており、学生らは9月からの新年度から利用できるようになるそうです。
 
   続いて、コシツェ盆栽センターでユライ・サボ・スロバキア盆栽協会会長と面会し、スロバキア盆栽協会やコシツェの盆栽家らの活動及び本年9月にレボチャ市で開催される予定の全国盆栽展についても詳細に説明を受けました。
   サボ会長は、以前は家業を手伝う仕事をされていたようですが、ある日、インターネット検索で見つけた盆栽に一目惚れし、以来、盆栽の道を究めようと精進を続けられているそうです。日本の盆栽の巨匠に直接の指導を得たいというのがサボ会長の夢で、その巨匠の直弟子(外国人)がいるイタリアまで出向いて指導を受けたこともあるそうです。サボ会長が手入れをされている盆栽をいくつも拝見させていただきましたが、大変すばらしい盆栽ばかりでした。
   サボ会長の言葉一つ一つから盆栽に対する情熱が感じられました。日本から遠く離れたスロバキアで、盆栽という日本文化をここまで愛してくださり、自身が実践されているばかりか、その普及に人生をかけておられる方がいることに感激しました。9月のスロバキア全国盆栽展で再会することをお約束して帰路につきました。
 

     
     
     
     
   




中川大使とライチャーク西バルカン担当EU特別代表との懇談(2021年6月17日)
 
   6月17日、ライチャーク西バルカン担当EU特別代表を昼食に招き、西バルカン諸国のEU加盟問題、「V4+日本」協力やスロバキア国内政治状況等について幅広く意見交換を行いました。ライチャーク氏は通常はブラッセル在住ですが、ブラチスラバで開催されているグローブセック会議出席のためにブラチスラバに戻った機会に懇談が実現しました。
   ライチャーク氏は、1994年~1998年にかけて駐日スロバキア大使として日本で勤務し、また、昨年春まで務めたスロバキアの外務大臣としても再々日本を訪問し、日・スロバキア友好関係に大きな貢献をされ、御自身も大変な親日家です。短期間のブラチスラバへの「里帰り」で日程がタイトにもかかわらず、懇談の機会を作っていただけたことに感謝いたします。



中川大使のクライニアク労働・社会問題・家族大臣表敬訪問(2021年6月10日)
 
   6月10日、クライニアク労働・社会問題・家族大臣を表敬訪問し、スロバキアの年金改革などについて意見交換をしました。
   日本と同様にスロバキアでも少子高齢化が進んでおり、社会保障制度を支える側になる将来の労働力人口が減少することが見通されています。また将来の財政展望の改善のためにも、スロバキアでは年金制度改革が大きな課題となっています。
   日本の公的年金制度では、5年に一度の年金財政再計算の仕組みが法定されています。日本政府は必ず5年に一度、最新の人口動態推計に基づいて、公的年金制度の長期的的な見通しを国民に説明する義務を負っています。また、年金財政の将来見通しに基づいて、5年に一度、必要な年金制度改革案を国民・国会に提案することとなっています。
   一方、スロバキアの公的年金制度には、そのような定期的に年金財政をチェックし、必要な年金制度改革に取組むためのトリガー装置がビルトインされていません。したがって、年金財政の見通しがどのようになっているのか、将来自分が年金を受給するときにどれくらいの年金が受け取れるのか等の必要な情報がどれくらい国民に提供されいるのか、あるいは国民がアクセスできるようになっているのか、懸念されるところがあります。
   公的年金制度は、どこの国でも国民の最大関心事項の一つです。年金財政に関する必要な情報が、透明性をもって、適切なタイミングで国民に提供されるような制度整備を行うことは、国民の支持を得ながら年金制度改革を進めるためには不可欠の要素ではないかと考えます。
 

 


 

中川大使のニトラ市訪問(202168日)

   6月8日、中川大使はニトラ市を訪問し、ミラン・ベリツァ県知事及びマレク・ハッタス市長を表敬訪問しました。ベリツァ県知事から、ニトラ県の歴史や農業・経済の発展等のニトラの概要について説明を受けるとともに、道路・鉄道網の重要性について議論が行われました。ハッタス市長とは、ニトラ及び日本での新型コロナウイルス感染症状況やワクチン接種状況及び東京オリンピック・パラリンピック競技大会について意見交換が行われました。
   表敬後、日本・スロバキア交流100周年を記念して植樹されたニトラ市内の桜通り2箇所にて、ドナー企業のG-TEKT Slovakia株式会社及びSIIX EMS Slovakia株式会社の代表者参加の下、関係者らとの記念撮影が行われました。
 

 
       
 



 

中川大使のコシツェ訪問(2021年6月4日)
 
   6月4日、スロバキア赴任後初めてスロバキア東部のコシツェ県を訪問し、トゥルンカ・コシツェ県知事やポラチェック・コシツェ市長等と面談しました。昨年秋以来の当地でのコロナ感染第二波により本年5月までスロバキア国内での移動が禁止されていたものが解除され、ようやく実現したコシツェ訪問です。
   コシツェ県知事からの招待を受けた今回の訪問は、まずポラチェック・コシツェ市長とともに、昨年日・スロバキア交流100周年を記念してコシツェ市内に植樹された桜の木に市長・副市長とともに水やりをする友好行事から始まり、その後、コシツェ市迎賓館において、市長との懇談を行いました。
   ハンガリーとポーランドを繋ぐ重要な交易路にあったコシツェは、14世紀にはハンガリーのルイ・ザ・グレート王から欧州諸都市にさきがけて独立都市として認める紋章を授かるなど、当時は経済的に発展した都市でありました。しかし現在のスロバキア東部は、首都ブラチスラバなどのスロバキア西部と比較すると、所得水準、雇用などの点でハンディがあることは事実です。市長からは、スロバキア西部とは異なる独自の経済的・文化的発展を遂げた歴史を持つスロバキア東部が、現在はスロバキア内の東西の格差に悩んでいることなど、ブラチスラバ周辺にとどまっているのではわからないスロバキアの多様性について丁寧に説明してもらいました。
   トゥルンカ知事からも同様の背景説明がありましたが、知事としては、(1)数あるユネスコ世界遺産遺跡など東スロバキアの観光資源を生かした日本人観光の促進、(2)既に複数の日系企業が製造業を含めて東スロバキアに拠点を置いてますが、さらなる日本企業の誘致などを通じて、今後さらにコシツェ県と日本の交流を強めていきたいとの考えを表明されました。知事室のアレンジで、コシツェ技術大学を見学しましたが、企業との共同研究施設なども充実しており、また日本の大学との連携経験もある研究室もあり、今後、コシツェ技術大学も絡める形で日本ビジネスの進出のポテンシャルはあるのでないかと感じました。
   1993年の分離独立以降、スロバキアは自動車産業を中心として経済発展しましたが、近年はスロバキア労働市場規模の制約、賃金水準の上昇により、かつてのような発展モデルが通用しなくなっています。観光産業の強化や知的集約産業への転換といった課題はスロバキア政府も十分認識しているところですが、日本大使館としてもそのための協力に努めたいと思いました。
 

     
     
   



 

中川大使のミクレツ内務大臣表敬訪問2021年6月1日)

   6月1日、中川大使はロマン・ミクレツ内務大臣を表敬訪問しました。昨今の新型コロナウイルス感染症対策措置の緩和や今夏の東京オリンピック・パラリンピック大会、日スロバキア間の警察組織の協力の可能性等について意見交換を行いました。特に、ミクレツ大臣は6月4日付で日本の変異株流行国指定からスロバキアが解除され、スロバキアから日本に渡航する旅客について、日本での検疫措置の一部が緩和されることを歓迎しました。




中川大使のミラノヴァー文化大臣表敬訪問(2021年5月27日)

   5月27日、中川大使はナターリア・ミラノヴァー文化大臣を表敬訪問しました。中川大使からは、昨年の日本・スロバキア交流100周年における文化省の協力及び支援に謝意を伝えるとともに、スロバキア・フィルハーモニーやバンスカー・ビストリツァ国立オペラと日本の協力関係について言及しました。ミラノヴァー大臣からは、スロバキアの民族文化や舞踊を通してスロバキアの歴史や文化を日本に紹介する等のアイディアが出され、大変有意義な意見交換となりました。





ナジ国防大臣との面会(2021年5月17日)

   5月17日、中川大使は、ナジ国防大臣と面会し、東アジア情勢や法の支配、民主主義及び人権などの共通の価値観に基づく日スロバキア協力のあり方について意見交換しました。また、ナジ国防大臣からは、スロバキア国防の課題や目標、コロナ対策へのスロバキア軍の貢献・活動等に関しても貴重なお話を伺うことができました。
 




フサール・スポーツ担当副大臣との面会(2021年5月5日)

   5月5日、中川大使は、フサール・スポーツ担当副大臣と面会し、コロナ渦における教育・科学・研究・スポーツ省の取り組みや、今夏の東京オリンピック・パラリンピック大会に関して意見交換を行いました。また、フサール副大臣は、もともとチェコ・スロバキアのバレーボール・ナショナルチームのトレーナーとして長らく活躍した人物でもあります。スポーツ選手・トレーナー、そして政治家としての視点から大変興味深い意見を伺うことができました。





中川大使とデメシュ元外務大臣のインタビュー(2021年4月28日)


   4月28日、中川大使は経済新聞とブラチスラバ観光局の企画のもと、パボル・デメシュ元外務大臣とのインタビューを行いました。快晴の青空の下、インタビューでは中川大使のブラチスラバでの私生活や、ブラチスラバ観光の魅力等について話され、さらに今夏開催予定のTOKYOオリンピック・パラリンピックについても言及されました。
   新型コロナウイルス感染症の感染状況も改善傾向にあり、このように対面での活動が少しずつ再開できるようになりました。
 




マテイ・ベル大学でのオンライン講座の実施(2021年3月11日)

   3月11日,中川大使はマテイ・ベル大学政治科学・国際関係学科の学生の皆さんに対して,オンライン講義を行いました。中川大使は講義にて,当日が東日本大震災発生からちょうど10周年の節目の日でもあったので,被災地の復興状況について説明するとともに,日本とスロバキアの歴史,人的・文化的交流や外交・経済関係等,広い視点からの日スロバキア関係について説明をしました。学生からは,日本での新型コロナウイルス感染症に対する取組について,アメリカ大統領選挙結果が日本政府の方針へ与える影響等について質問があがり,意見交換を行いました。今回の講義がマテイ・ベル大学の学生の皆さんにとって,日本とスロバキアの繋がりを知る有意義な機会になったならば幸いです。





フェリス女学院大学とのオンライン外交講座の実施(2021年1月21日)


   1月21日、コメニウス大学の協定大学であるフェリス女学院大学において、「スロバキアを知ろう」というテーマでオンライン外交講座が開催されました。同大学、外務本省、在日スロバキア大使館と当館の4拠点をオンラインで繋ぎました。

   中川大使からは、自身の幼少期や公務員キャリアの中での海外生活で得た体験談を交えつつ、海外で学ぶことの重要性を学生らに伝えるとともに、スロバキアの地理、歴史、文化及び新型コロナウイルス等、幅広い観点からスロバキアについて解説しました。また、在日スロバキア大使館からはトマーシク大使とシュミフラ外交官が登壇し、スロバキアと日本の繋がりや日本におけるスロバキアコミュニティ等について紹介がありました。

   日本人学生の間で、スロバキアの認知度は必ずしも高いとはいえません。スロバキアを身近な国として感じてもらうことで、より多くの方がスロバキアに留学されることが期待されています。

 




The Slovak SpectatorのPodcastへの出演(2020年11月24日)

   11月24日、中川大使はThe Slovak Spectatorのスタジオにて同社のPodcast番組である「Spectacular Slovakia」に出演しました。現在、同番組では駐スロバキア各国大使からみたスロバキア及びブラチスラバの生活について紹介するシリーズを行っており、中川大使も同番組への出演の機会を得ました。中川大使出演のエピソードはPodcast番組「Spectacular Slovakia」にて12月7日(月)に放送予定とのことです。
 

番組収録の様子
  番組司会者のPeter Dlhopolec氏と



バンスカー・ビストリツァ訪問(2020年10月1日)

 10月1日、中川大使はバンスカー・ビストリツァ市を訪問し、市庁舎でノスコ同市長及びミチェウ・スロバキア民族蜂起(SNP)博物館館長と面会しました。同市の歴史や伝統,同市と日本の繋がりについて意見交換が行われました。
 その後、中川大使はSNP博物館で開催された桜植樹記念式典に出席しました。日本・スロバキア交流100周年を記念して実施される「ブルーミング・スロバキア・キャンペーン」の一環で、SNP博物館に桜10本が植樹されました。本年は、新型コロナウィルス感染拡大の影響により大変困難な周年となっていますが、キャンペーンの最初となる桜植樹記念式典が無事に開催されました。スロバキア政府の規制措置に従い厳重な感染症予防措置を執った上で、式典には、コルチョク外務・欧州問題大臣、ルンテル・バンスカー・ビストリツァ県知事及びノスコ同市長、市内の各大学関係及び文化関係者等が参加しました。
 式典後、中川大使はSNP博物館の展示物及びSNP75周年を記念する特設展示の案内に参加し、全ての展示物を興味深く見て回りました。

 
ノスコ市長とミチェウSNP博物館館
長との面会
     
SNP博物館での桜植樹記念式典
の出席者ら
     
    出席者による桜植樹
の様子
 
       
 
  SNP博物館の展示
案内の様子
   




      

















































ダニュービアナ美術館でのアジア・イベントへの参加(2020年9月24日)

9月24日、中川大使は、ダニュービアナ美術館でデメシュ元外務大臣及びグレジョ・ブラチスラバ観光局長が主催するアジア・イベントに参加しました。
同イベントには中国、韓国、インド、ベトナム、インドネシア各国の駐スロバキア大使が参加するとともに、スロバキア外務・欧州問題省、スロバキアのシンクタンク関係者等も参加しました。
同イベントでは、新型コロナウイルスのパンデミックに対する各国の取組み、経済的影響等につき各国大使がプレゼンテーションし、意見交換を行いました。各国の料理を提供した小規模のレセプションも開催され、スロバキアの民族音楽や舞踊も披露される中、出席者の間で親交を深めました。

      



ミホーク・スロバキア商工会議所会頭への表敬訪問(2020年9月23日)

 

9月23日、中川大使はミホーク・スロバキア商工会議所会頭に着任挨拶し、日スロバキア経済関係,スロバキアの経済・ビジネス環境,日本とスロバキアの高齢化社会対策等について意見交換を行いました。


 



ドロバ・ブラチスラバ県知事への表敬訪問(2020年9月23日)

9月23日、中川大使はドロバ・ブラチスラバ県知事を表敬訪問しました。ドロバ県知事は元日本・スロバキア友好議連のメンバーであり、沖縄空手に興じる親日家でもあります。スロバキア国内での日本文化・スポーツ交流について意見交換をするとともに、ブラチスラバで行われている日本・スロバキア交流100周年を記念する桜植樹事業の状況についても説明をしました。

      


駐スロバキア・アジア大使らとの昼食会(2020年9月18日)


9月18日、中川大使は、駐スロバキアの5か国のアジア大使館の大使らとの昼食会に参加しました。パヴォル・デメシュ氏が開催するアジアイベントにおける各国アジア大使館の協力のあり方について協議を行いました。スロバキアに所在するアジアの国の大使館は6か国のみであり(日本、中国、韓国、インド、インドネシア、ベトナム)、アジア大使館の結束を強める機会となりました。





シーケル・スロバキア・オリンピック委員長及びリバ事務局長への表敬訪問(2020年9月18日)


9月18日、中川大使はスロバキア・オリンピック委員会のシーケル委員長とリバ事務局長を表敬訪問しました。2021年に延期された東京オリンピック大会の準備状況等について意見交換を行いました。





中川大使のオラヴェツ副経済大臣表敬(2020年9月14日)

9月14日、中川大使はオラヴェツ副経済大臣を表敬訪問しました。日スロバキア経済関係,スロバキア及び中東欧諸国の経済・ビジネス環境,コロナ危機からの復興計画等につき意見交換を行いました。






中川大使のブラチスラバ大学図書館でのトリアノン条約関連文書展覧会への出席(2020年9月9日)

9月9日、中川大使はブラチスラバ大学図書館での、スロバキア国境の100年の歴史を記念するトリアノン条約関連文書展覧会のオープニングセレモニーに出席しました。この展覧会では、歴史文書,当時の地図や計画書等を展示することにより、スロバキアにとってのトリアノン条約の重要性を説明しています。同展覧会は、当地内務省、スロバキア科学アカデミー歴史研究所及びブラチスラバ大学図書館により実施されました。

    
© UKB, Ctibor Bachratý a Peter Pekár



トレンチアンスケ・チェプリチェ訪問(2020年9月7日)

9月7日、中川大使は、温泉都市であり、桜植樹事業「ブルーミング・スロバキア・キャンペーン」への参加を希望しているトレンチアンスケ・チェプリチェを訪問しました。本桜植樹事業は、日・スロバキア交流100周年を記念して企画されたものです。
ズザナ・フライコヴァー・ヂュルメコヴァー市長とミハエラ・フェドロヴァー副市長と共に、同事業の条件及び日本大使館とトレンチアンスケ・チェプリチェ市との協力の可能性について協議しました。さらに、中川大使は同市訪問の記帳簿に記帳し、街のランドマークや歴史等、市内を興味深く散策しました。

      



コルチョク外務・欧州問題大臣への表敬訪問(2020年9月4日)

9月4日、中川大使はコルチョク外務・欧州問題大臣を表敬訪問しました。ベラルーシ問題、ポストコロナの展望、日スロバキア関係の深化の可能性、日スロバキア交流100周年等について、有意義な意見交換を行いました。

         



中川大使の東京パラリンピック記念切手発行式典出席(2020年8月24日)


8月24日、中川大使はスロバキア・パラリンピック委員会が開催した東京パラリンピック記念切手発行式典に出席しました。
東京パラリンピック開催まであと1年となります。

 
    



中川大使の信任状捧呈式(2020年8月20日)

 8月20日,中川大使はスロバキア大統領府において,ズザナ・チャプトヴァー大統領に信任状を捧呈しました。
 
      
 

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